中馬庚(読み)チュウマカノエ

デジタル大辞泉 「中馬庚」の意味・読み・例文・類語

ちゅうま‐かのえ【中馬庚】

[1870~1932]野球選手・教育者鹿児島の生まれ。旧姓、今藤。一高野球部で二塁手として活躍。明治28年(1895)発行の「第一高等学校野球部史」で、「ベースボール」を「野球」と訳した。明治30年(1897)には日本初の図解つきの野球書「野球」を出版。その後は各地中学校長を歴任

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20世紀日本人名事典 「中馬庚」の解説

中馬 庚
チュウマン カナエ

明治〜昭和期の野球選手



生年
慶応3年2月9日(1867年)

没年
昭和7(1932)年3月21日

出生地
鹿児島県

学歴〔年〕
東京帝大文学部〔明治30年〕卒

経歴
明治23年第一高等中学校(一高)で野球選手となり、名二塁手として一高野球の全盛期をつくる。東大に進んだあともコーチ監督として後輩を指導した。大学在学中の27年「第一高等学校野球部史」を著し、この中で“ベースボール”に対し“野球”、“ローンテニス”に対し、“庭球”の訳語を初めてあてた。30年日本初の野球専門書である「野球」を著し、技術やルールを紹介した。教育者としても知られ、各地で中学校校長を歴任。昭和45年野球体育博物館で特別表彰され、野球殿堂入りした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「中馬庚」の意味・わかりやすい解説

中馬庚 (ちゅうまかのえ)
生没年:1870-1932(明治3-昭和7)

野球の先駆者。鹿児島に漢学者の子として生まれ,中馬家の養子となる。第一高等学校に学び,同校ベースボール部に所属,三塁手で活躍し明治後期の日本学生野球草創にあたって一高黄金時代をつくる。帝大在学中の1894年,一高校友会雑誌のためベースボール部史を執筆し,従来のベースボールを〈野球〉と訳すことを提唱表題を〈野球部史〉とした(刊行は翌年2月)。97年には,日本人による最初の野球指導書《野球》を著した。同年帝大卒業後は各地で中学の教師をつとめ,名物校長として知られた。その野球への功績がたたえられ,1970年野球殿堂入りした。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中馬庚」の解説

中馬庚 ちゅうまん-かなえ

1870-1932 明治-昭和時代前期の野球選手,教育者。
明治3年2月9日生まれ。第一高等中学の野球選手として活躍。明治27年帝国大学在学中に「第一高等学校野球部史」をかき,ベースボールを野球とはじめて訳した。30年日本初の野球指導書「野球」をあらわす。39年鹿児島第二中学教頭。昭和7年3月21日死去。63歳。45年野球殿堂入り。鹿児島県出身。旧姓は今藤。

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367日誕生日大事典 「中馬庚」の解説

中馬 庚 (ちゅうま かのえ)

生年月日:1870年2月9日
明治時代;大正時代の野球選手
1932年没

中馬 庚 (ちゅうまん かなえ)

生年月日:1867年2月9日
明治時代の野球選手
1932年没

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