串原村(読み)くしはらむら

日本歴史地名大系 「串原村」の解説

串原村
くしはらむら

[現在地名]串原村 福原ふくばら森上もりあげ大竹おおだけ岩倉いわくら相走あいばしり大野おおの閑羅瀬しずらせ大簗おおやなかわ柿畑かきばた木根きね大平おおだいら松本まつもと戸中とちゆうみね松林まつばやし中沢なかざわ平山たいらやま

矢作やはぎ川右岸にあり、対岸は三河国である。矢作支流の多くの小河川に沿って小集落が点在する。暦応三年(一三四〇)二月一〇日の覚心譲状写(遠山文書)によれば、遠山とおやま手向とうげ郷が嫡孫遠山弥二郎景房に譲られているが、そのうち「くしハら・ならたニ・おくとを山上下村」は一期を限り「新かとう二入道」に譲られている。「花営三代記」応永二八年(一四二一)一一月一三日条には、室町将軍の代官として伊勢参宮をした三五人の武将の一人に「遠山櫛原」がおり、遠山氏一族櫛原氏が知行したと推測される。しかし天正二年(一五七四)櫛原氏の館(串原城)は武田勝頼により攻め落されたという(新撰美濃志)

串原村
くしはらむら

面積:三八・三二平方キロ

県の南東部、恵那郡南端に位置し、北は明智あけち町、東は上矢作かみやはぎ町に接し、南は矢作川を隔てて愛知県北設楽きたしたら稲武いなぶ町と同県東加茂ひがしかもあさひ町、西は明智川を挟んで旭町と対する。東濃窯業地帯の東縁をなす明智町へ約九キロ,自動車工業の中心地愛知県豊田市へ約三五キロで、両都市の影響下にあり、工場通勤者が多い。面積の九割は山林で、耕地・宅地は矢作川およびその支流の大平おおだいら川・中沢なかざわ川流域におけるわずかな平地と、緩傾斜面にみられるにすぎない。村域中央部を横断する大平川の中流部の谷は、勾配もゆるく多少平地も開けるが、下流部では谷幅は狭く勾配は急となる。近世以来の一村がそのまま現在に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報