丸亀城下図(読み)まるがめじようかず

日本歴史地名大系 「丸亀城下図」の解説

丸亀城下図(万治年間城下図)
まるがめじようかず

原本 国立公文書館 二五六×二一八センチ 肉筆彩色図

写本 丸亀市立資料館 一七四×一六八センチ 肉筆単彩図

解説 万治三年丸亀藩主から幕府提出された城下図であるが、絵図中に「右者正保二、山崎公より上之通之図也」とあり、正保二年に前丸亀藩主山崎家治より幕府に提出された絵図の写と考えられている。このため山崎氏時代の城下の概略を伝え、城下に記された古町は生駒氏時代からの町、新町は山崎氏時代に成立した町とされている。町人町町名はなく、町割のみが記され、古町・新町・無記名所に区分されている。また北東部に寺、西部に寺屋敷、南東部に足軽屋敷と記される一帯がみられる。外郭内には侍屋敷が記されている。


丸亀城下図(文政一一年城下図)
まるがめじようかず

一六七・八×一六一・六センチ

写本 丸亀市立資料館

解説 肉筆彩色図。文政一一年に藩士志村三太夫正翼によって作図されたものを、天保一五年に写したものである。外郭内の侍屋敷町は屋敷一筆ごとに藩士の姓名が記されている。外郭外町人町の地域は下級武士居住地であった風袋町のみ姓名があり、町人家は記されていないが、銀札場や町会所などの位置を知りうる。


丸亀城下図(元禄一〇年城下図)
まるがめじようかず

原本 丸亀市立資料館

解説 肉筆彩色図。元禄期の城下町人町地域の大半が記され、各家一軒ごとの屋号なども入った詳細な図。大工瓦師などの家も知りうる。京極氏時代のほぼ完成された城下の様子が示されている絵図である。作図目的・経過は知られていないが、図中に二つ作られ、一つは提出、一つは町会所に置いたと記されている。本図は町会所に置かれた図である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報