20世紀日本人名事典 「乃木静子」の解説 乃木 静子ノギ シズコ 江戸時代末期〜大正期の女性 陸軍大将・乃木希典の妻。 生年安政6年11月27日(1859年) 没年大正1(1912)年9月13日 旧姓(旧名)湯地 別名幼名=お七 学歴〔年〕麴町女学校卒 経歴鹿児島藩士の四女に生まれ、明治5年14歳の時、一家と共に上京。11年陸軍軍人の乃木希典と結婚、希典の号・静堂より名をとり静子と改名。4人の子をもうけるが2人は早世し、長男・勝典、二男・保典も日露戦争で相次いで失う。大正元年9月13日明治天皇に殉じ、夫と共に自邸で自刃した。辞世の句は「出てましてかへります日のなしときく けふの御幸に逢ふそかなしき」。軍人の妻として、その私生活は非常に質素であったといわれる。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「乃木静子」の解説 乃木静子 のぎ-しずこ 1859-1912 明治時代,乃木希典(まれすけ)の妻。安政6年11月27日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩医の娘。明治11年結婚。明治天皇大葬の日の大正元年9月13日,夫とともに殉死した。54歳。旧姓は湯地。旧名はお七。【格言など】出でましてかへります日のなしと聞くけふの御幸(みゆき)に逢ふぞかなしき(辞世) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「乃木静子」の解説 乃木 静子 (のぎ しずこ) 生年月日:1859年11月27日江戸時代-大正時代の女性。乃木希典の妻1912年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by