久保天随(読み)クボテンズイ

デジタル大辞泉 「久保天随」の意味・読み・例文・類語

くぼ‐てんずい【久保天随】

[1875~1934]漢学者漢詩人。東京の生まれ。本名、得二。評論随筆新体詩などを広く発表。著「白露集」「秋碧吟廬詩鈔」など。

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精選版 日本国語大辞典 「久保天随」の意味・読み・例文・類語

くぼ‐てんずい【久保天随】

  1. 漢学者、詩人文博。本名得二。東京出身。東京帝国大学卒。宮内省図書寮編修官、台北帝国大学教授を歴任。漢詩にすぐれ、随筆・評論・翻訳の筆をとる。著に「秋碧吟廬詩抄」「山水美論」「支那戯曲研究」など。明治八~昭和九年(一八七五‐一九三四

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20世紀日本人名事典 「久保天随」の解説

久保 天随
クボ テンズイ

明治〜昭和期の漢学者,漢詩人,評論家 台北帝大教授。



生年
明治8年7月23日(1875年)

没年
昭和9(1934)年6月1日

出生地
東京府下谷御徒町(現・東京都台東区)

本名
久保 得二(クボ トクジ)

別名
別号=兜城山人,秋碧吟盧主人

学歴〔年〕
東京帝大文科大学漢学科〔明治32年〕卒

学位〔年〕
文学博士(東京帝大)〔昭和2年〕

経歴
早くから評論、紀行、美文を発表し、大正9年宮内省図書寮編修官となり、12年大東文化学院大学教授となる。昭和4年台北帝大教授に就任。その間「西廂記の研究」で文学博士となる。漢文・漢詩の評釈・入門・概論書を数多く書いた。中国戯曲の最初の紹介者。著書に「東洋通史」(全12巻)「日本儒学史」「近世儒学史」「老子新釈」「支那戯曲研究」、漢詩集「秋碧吟廬詩鈔」(全14巻)、紀行文集「山水美論」などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久保天随」の解説

久保天随 くぼ-てんずい

1875-1934 明治-昭和時代前期の漢文学者。
明治8年7月23日生まれ。大正9年宮内省図書(ずしょ)編修官。「帝国文学」などに寄稿,漢籍注釈,評論,随筆,漢詩,中国戯曲研究などで知られる。昭和4年台北帝大教授。昭和9年6月1日台北で死去。60歳。東京出身。東京帝大卒。本名は得二。著作に「白露集」「日本儒学史」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「久保天随」の意味・わかりやすい解説

久保天随
くぼてんずい

[生]1875.7.23. 東京
[没]1934.6.1. 台北
漢学者,詩人。本名は得二。 1899年東京帝国大学漢学科卒業。『帝国文学』その他に評論,随筆を書き,特に中国哲学立場から高山樗牛のニーチェイズム,美的生活論を批判した。共著による美文集『白露集』 (1899) のほか漢詩,漢文集の評釈を多く書いた。

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百科事典マイペディア 「久保天随」の意味・わかりやすい解説

久保天随【くぼてんずい】

漢詩人,評論家。本名得二。東京生れ。東大漢文科卒。《帝国文学》その他に評論,紀行,随筆などを書いた。《秋碧吟廬詩鈔》などの漢詩集のほか,《西廂記》など漢籍の評釈書が多い。

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367日誕生日大事典 「久保天随」の解説

久保 天随 (くぼ てんずい)

生年月日:1875年7月23日
明治時代-昭和時代の漢文学者。台北帝国大学教授
1934年没

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