久保田広(読み)クボタ ヒロシ

20世紀日本人名事典 「久保田広」の解説

久保田 広
クボタ ヒロシ

昭和期の応用物理学者



生年
明治43(1910)年12月

没年
昭和43(1968)年7月10日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝国大学理学部物理学科〔昭和9年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔昭和6年〕

主な受賞名〔年〕
日本学士院賞〔昭和24年〕,紫綬褒章〔昭和32年〕

経歴
理化学研究所石田(義雄)研究室に入り、昭和11年入隊、除隊後、赤羽の東京工廠精器製造所で光学兵器製造と研究に当たった。14年東大助教授、22年教授。26年同大生産技術研究所所員に転じた。この間、20年に位相差顕微鏡の研究を始め、23年千代田光学と交渉、わが国初の位相差顕微鏡を試作した。以後位相差顕微鏡や反射防止膜製作理論などに大きな業績をあげた。国際光学委員会副会長を務め、著書に「応用光学」「光学」「波動光学」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久保田広」の解説

久保田広 くぼた-ひろし

1910-1968 昭和時代の応用物理学者。
明治43年12月11日生まれ。昭和9年理化学研究所にはいり,14年母校東京帝大の助教授,22年教授となる。わが国ではじめて位相差顕微鏡を試作。34年光学系の映像に関する研究で学士院賞。反射防止膜の製作と理論の研究でも知られる。昭和43年7月10日死去。57歳。東京出身。著作に「応用光学」「波動光学」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例