久保田米斎(読み)クボタ ベイサイ

20世紀日本人名事典 「久保田米斎」の解説

久保田 米斎
クボタ ベイサイ

明治〜昭和期の日本画家,舞台美術家



生年
明治7年8月18日(1874年)

没年
昭和12(1937)年1月14日

本名
久保田 満明(クボタ ミツアキ)

別名
別号=米所,世音,皿彩,錦竹舎,幼名=米太郎

学歴〔年〕
オークランド・ハイスクール(米国)卒

経歴
石田鴻斎の門人として詩文を学び、また俳諧和歌にも堪能。松竹合名会社に入社し、2世市川左団次のために「修善寺物語」「正雪の二代目」「頼豪阿闍梨」など、明治末期から昭和初期まで舞台装置を描いた。晩年には各デパート等の顧問として衣裳考証に従事し、また舞台装置の指導などに当たった。珍書古文献の収集家としても著名で、大部分歌舞伎」の表紙画を担当した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久保田米斎」の解説

久保田米斎 くぼた-べいさい

1874-1937 明治-昭和時代前期の画家,舞台美術家。
明治7年生まれ。久保田米僊(べいせん)の長男。松竹合名社にはいり,2代目市川左団次の「修禅寺物語」などの舞台の背景画や,雑誌「歌舞伎」の表紙画を担当した。昭和12年1月14日死去。64歳。アメリカのオークランド-ハイスクール卒。本名は米太郎,満明。別号に米所。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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