久坂葉子(読み)クサカ ヨウコ

20世紀日本人名事典 「久坂葉子」の解説

久坂 葉子
クサカ ヨウコ

昭和期の小説家



生年
昭和6(1931)年3月27日

没年
昭和27(1952)年12月31日

出生地
兵庫県神戸市

本名
川崎 澄子(カワサキ スミコ)

学歴〔年〕
山手高女卒,相愛女専音楽部〔昭和22年〕中退

経歴
16歳から詩作を始め「文章倶楽部」に投稿。昭和24年同人雑誌「VIKING」に参加富士正晴師事。「入梅」でデビュー。25年発表の「ドミノお告げ」が芥川賞候補作品となり、脚光を浴びる。その後、新日本放送の嘱託となってシナリオライターとしても活躍。27年現代演劇研究所の創立に参加し、戯曲「女たち」を上演。同年大晦日に遺書的作品「幾度目かの最期」を書き上げて自殺。没後作品集「女」、「久坂葉子詩集」「久坂葉子の手紙」「新編久坂葉子作品集」が刊行された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「久坂葉子」の意味・わかりやすい解説

久坂葉子
くさかようこ
(1931―1952)

小説家。神戸市生まれ。本名川崎澄子。神戸山手高等女学校卒業、相愛女専音楽部中退。1949年(昭和24)8月、島尾敏雄(としお)の紹介で同人誌『VIKING』に参加、久坂葉子の名で『入梅』を発表。『ドミノのお告げ』(1950)で芥川(あくたがわ)賞候補となるが、52年大晦日(おおみそか)『幾度目かの最期』を書き上げ自殺。自叙伝的な『灰色の記憶』には死臭が漂い、『華々しき瞬間』からは自虐と鋭い感性を持て余した青春の悲鳴が聞こえる。死後、作品集『女』(1953・人文書院)、富士正晴編『久坂葉子作品集』(1980・構想社)などが刊行された。

[尾形明子]

『『久坂葉子作品集・女』『久坂葉子詩集』『久坂葉子の手紙』(ともに1979・六興出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久坂葉子」の解説

久坂葉子 くさか-ようこ

1931-1952 昭和時代後期の小説家。
昭和6年3月27日生まれ。昭和24年同人誌「VIKING」に参加,富士正晴の指導をうける。25年「ドミノのお告げ」で芥川賞候補。昭和27年12月31日,自殺を予告する「幾度目かの最期」をかきあげ,電車にとびこんで死亡した。21歳。兵庫県出身。相愛女子専門学校中退。本名は川崎澄子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「久坂葉子」の解説

久坂 葉子 (くさか ようこ)

生年月日:1931年3月27日
昭和時代の小説家;シナリオライター
1952年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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