久多庄(読み)くたのしよう

日本歴史地名大系 「久多庄」の解説

久多庄
くたのしよう

丹波・近江に境を接する山間荘園。長承二年(一一三三)七月一二日の明法博士中原明兼勘注(近衛家本知信記裏文書)

<資料は省略されています>

とあり、康平七年(一〇六四)段階では、法成ほうじよう寺領であったことが知られる。しかし平治元年(一一五九)の前太政大臣家政所下文案(高松宮家所蔵文書)には、

<資料は省略されています>

とあり、大悲山寺(峰定寺)領となったことがみえる。しかし、その後の文書にも法成寺領と記されており、帰属をめぐって法成寺と大悲山寺との間に経緯があったものと思われるが、詳細は不明である。

鎌倉時代の久多領主については不詳であるが、「寛政重修諸家譜」によれば、朽木氏の祖義綱が久多を領したとある。しかしこれは後世に付会された可能性が大きく、たとえ関係があったとしても代官程度であったろう。

建仁二年(一二〇二)一〇月の山城国久多庄十人百姓色々御公事(岡田浩佐家文書)によると、久多には「十人百姓」と称される上層農民が存在し、公文とともに久多の中核をなしていた。この「十人百姓」は鎌倉時代末期からみられる「十みよう」へとつながるものだろう。

「十名」とは岩淵名・木戸名・和田名・西田名・大屋名・糯田もちだ名・高瀬名・清三郎名・伊藤次名・河井名をさし、この内岩淵・糯田は近世に姓として用いられている(士堅昭一家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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