改訂新版 世界大百科事典 「義演准后日記」の意味・わかりやすい解説
義演准后日記 (ぎえんじゅごうにっき)
醍醐寺座主・三宝院義演の日記。文禄5年(1596)正月朔より寛永3年(1626)4月2日まで,自筆原本が伝わる。京都市伏見区醍醐寺三宝院所蔵。重要文化財。横綴の帖型冊子本。合計62冊。慶長18年8月~12月,同19年10月~12月の部分を欠く(ただし19年には別記がある)ほか完存。39歳から69歳の死の直前まで書き続けている。なお〈慶長元年大地震記〉〈慶長十九年有馬湯治記〉などの別記があり,紙背文書には重要なものを含む。豊臣秀吉の晩年から3代将軍徳川家光の治世の初期にいたる激動期がこの日記の書かれた時代で,公家・武家の上層部と親しく,政界に近づいた傑僧義演は政治的動向に対する関心も鋭く,醍醐寺関係の記事が詳しいのは別としても武将の動向,朝廷貴族層の動向,仏教界の動向などを筆まめに書き留めていて,当時の歴史の基礎史料として重要である。
執筆者:弥永 貞三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報