久所村(読み)くじよむら

日本歴史地名大系 「久所村」の解説

久所村
くじよむら

[現在地名]大分市丹川あかがわ

丹生にゆう川中流域の村で東ははる村。下久所・上久所・延命寺えんめいじ野間のまなどの集落がある。南に向かって高く戸塚とづか(二九四・五メートル)が最高点。「豊後国風土記」に「丹生の郷、郡の西にあり、昔時の人、此の山の沙を取りて朱沙に該てき、因りて丹生の郷といふ」とあり、丹生郷について「豊後国志」は「豊後国献真朱、蓋此境所獲乎、今郷中有久所村、地名赤迫、掘地則多得朱沙、性粗下品、不可入薬及画材、但可飾牆壁」と記す。赤迫とは現赤迫あかさこ池付近のことか。当地が丹生地名発祥の地と理解されていた。

文禄二年(一五九三)丹生庄検地帳写(渡辺家文書)によると、久所村の高四二三石余、うち田高一八六石余・畑高二一九石余・屋敷一七石余、村位は中。


久所村
ぐぞむら

[現在地名]中井町久所

西を中村なかむら川が、村央を藤沢ふじさわ川が流れ、東は北田きただ村、西は田中たなか村・半分形はぶかた村、南は遠藤えんどう村、北は藤沢村・比奈窪ひなくぼ村と接し、大山道が西南から東北に抜ける。五所ごしよみや六名の一つ。

正保国絵図に村名がみえる。近世は初め小田原藩領、天和三年(一六八三)稲葉正倚に分知、享保一五年(一七三〇)より幕府直轄領。寛文一二年(一六七二)村明細帳(県史四)によれば田六町三反余、畑一三町三反余。諸役として漆一三九匁を出し、用水隣村より井堰を用い、飲水は掘井戸五と川水を用いた。同明細帳によれば屋敷地は本村のほかにみやした・半分形村続きおよびみやわきに散在する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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