日本歴史地名大系 「久田道町」の解説 久田道町くたみちまち 長崎県:下県郡厳原町府中城下久田道町[現在地名]厳原町久田道国分(こくぶ)町の南に位置する。府中(ふちゆう)浦の西岸に沿って山の斜面に形成された町。久田路とも記され、地内を流れる小川は文捨川とよぶという(楽郊紀聞)。国分町より久田に通じる道に開けたことに由来する地名で、山の中腹を通る上(うわ)道、海岸部を通る下(した)道、その中間の中道がある。上道に武家屋敷(下級藩士)が並ぶが、三道筋には寺院が多く、寺町の観がある。中道の浄土宗海岸(かいがん)寺は文明三年(一四七一)の創建、はじめ国府の前浜(こうのまえはま)にあったが、天正八年(一五八〇)現在地に移ったという。あるいは開山は心蓮社伝誉知順で、文明二年与良(よら)郡府中の須瀬(すせ)路に根誉青眼の草創になるものという(蓮門精舎旧詞)。曹洞宗の慶雲(けいうん)寺は永禄八年(一五六五)の創立と伝え、対馬藩家老古川氏の菩提寺であった。下浜の段丘上の浄土真宗本願寺派の光清(こうせい)寺は慶長一三年(一六〇八)平山了年を開山として建立された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by