九辺鎮(読み)きゅうへんちん(英語表記)Jiu-bian-zhen; Chiupien-chên

山川 世界史小辞典 改訂新版 「九辺鎮」の解説

九辺鎮(きゅうへんちん)

明代に北辺防備のために北方国境に沿って設けられた九つの軍事基地。東から西へ数えれば遼東(遼寧省北鎮県),薊州(けいしゅう)(河北省薊県),宣府(河北省宣化市),大同(山西省大同市),山西(山西省偏関県),延綏(えんすい)(陝西(せんせい)省楡林(ゆりん)県),寧夏(ねいか)(寧夏回族自治区銀川市),固原(寧夏回族自治区固原県),甘粛(甘粛省張掖(ちょうえき)県)である。これにそって長城が築かれ,モンゴル人侵入の際は,九辺鎮の各総兵官が防御にあたり,平時にはモンゴル人との貿易その他の交渉を行った。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「九辺鎮」の意味・わかりやすい解説

九辺鎮
きゅうへんちん
Jiu-bian-zhen; Chiupien-chên

中国,明代に北方民族のモンゴル人,満州人 (女真) の侵入を防ぐため,長城地帯に設けられた要塞都市ならびにその管区。遼東 (遼陽) ,薊 (けい) 州,宣府,大同,偏頭,楡林 (ゆりん) ,寧夏,甘粛 (甘州) ,固原の九鎮で,これらは 15世紀なかばの土木の変以後に建直され,明朝の北辺防衛体制の中心をなした。各辺鎮には,それぞれ鎮守総兵官の指揮下に数千から数万に上る騎兵,歩兵部隊が常駐した。

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世界大百科事典(旧版)内の九辺鎮の言及

【万里の長城】より

…こうして今日に残る長城がほぼ完成したのが,16世紀末のことであった(図)。 明は長城を北防の第一線として膨大な駐屯軍を配備し,区域を分けて防衛を担当させたが,これを九辺鎮と称する。明代には長城を辺牆とよんだが,北辺の辺牆のほかに,遼東辺牆とよばれるものがあり,山海関から東へ進み,遼寧省瀋陽・開原付近に及び,南下して鴨緑江岸に達していた。…

【明】より

…モンゴル高原では,内部対立があってエセンが殺され,オイラート部に代わってタタール部が勢力を伸張し,天順以降しばしば明の北辺に侵入した。これに対して明は万里の長城を修築し,九辺鎮とよばれる守備隊を整備するなど,もっぱら防衛を事とした。今日残っている長城は,ほとんどこの時代に修築されたものといわれる。…

※「九辺鎮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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