九郎原村(読み)くろうばらむら

日本歴史地名大系 「九郎原村」の解説

九郎原村
くろうばらむら

[現在地名]六日市町九郎原

有飯ありい村の北東に位置する。吉賀よしが川が村の中央を南西に流れ、安芸廿日市あきはつかいち街道が川に沿って通る。畑詰はたづめ沖場おきば常国つねくにの三集落がある。正保国絵図に九郎原とあり高一二五石。明治四年(一八七一)の万手鑑では古高一二五石、寛永一四年(一六三七)の検地高二六四石、明治四年の総高三〇六石余・反別五六町五反余、家数五三(本百姓五一・小百姓一・社家一)・人数二二七、牛三二、米蔵一、応安山おうあんざん八幡宮と小社一、鉄砲七、紙漉舟三二、古城跡。津和野藩は紙漉の振興を図るため、承応元年(一六五二)当村の五郎右衛門と注連川しめがわ村の左助を飛騨に派遣し紙漉の修業をさせた。同三年帰国すると五郎右衛門は当村畑詰で紙を漉き、篠原の姓と七石二人扶持をもらい、紙漉の研究と指導にあたった(「津和野藩紙漉覚書」新修島根県史)


九郎原村
くろうばるむら

[現在地名]嘉穂町九郎原

才田さいた村の北に位置する。村の西に長谷はせ(三一一・二メートル)があり、東に千手せんず川が流れる(地理全誌)才田村の枝村で、寛永三年(一六二六)に分村したという(「掌中秘記」秋月郷土館蔵)。集落は本村まつうらにある(「郷村鑑帳」同館蔵)領主変遷は本村の才田村と同様であったと考えられる。元禄五年(一六九二)には九郎原村の高四二〇石余(田圃志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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