二子塚村(読み)ふたごづかむら

日本歴史地名大系 「二子塚村」の解説

二子塚村
ふたごづかむら

[現在地名]中島村二子塚・中島

阿武隈川北岸に位置し、村の中央を水戸街道が南北に通り、泉崎いずみざき(現泉崎村)から滑津なめづ村への道が東西に走り交差する。南は川原田かわらだ村、北は中畑なかはた(現矢吹町)、東は滑津村、西は関和久せきわぐ(現泉崎村)。字天王山てんのうざん上代山かみだいやまにある前方後円墳が地名の起りと伝えられる。上代山は上台山とも書き白河郡衙に関係ある建物があったのではないかといわれている。天王山南東の崖には横穴墓群があり、南西山中に元徳二年(一三三〇)銘の板碑など数基があり、傍らに弥勒みろく清水が湧き出ている。初め会津領、寛永四年(一六二七)白河藩領、寛保元年(一七四一)越後高田藩領、文政三年(一八二〇)以後幕府領


二子塚村
ふたごづかむら

[現在地名]福島市二子塚

在庭坂ざいにわさか村の東の平坦地で、北を天戸あまと川、南を川が流れ、両川は村東端で合流する。北は庭坂村、東は上野寺かみのでら村、南は桜本さくらもと村。村名には昔当地篠塚しのづかに阿魯寿という娘がいて男に化身した大杉の子を身ごもり双子を産んだが、両親が不祥として野に埋め、塚を築いたことによるという伝承がある(信達二郡村誌)。天文二二年(一五五三)の晴宗公采地下賜録では、半沢杢助に富塚近江分の「ふたこつか」「よこつか」「しのつか」「はりけつた」などが与えられており、村名のほか当地の小字篠塚・針下駄はりげたにあてられる。横塚は在庭坂内の地名である。文禄三年(一五九四)蒲生領高目録では高二三五石余。近世初期の邑鑑によると免一ツ五分、家数一〇(役家三、肝煎一、諸職人・脇家六)、人数二三、役木として桑・楮がそれぞれ少しある。


二子塚村
ふたごづかむら

[現在地名]加賀市二子塚町

動橋いぶりはし川中流左岸、津波倉つばくら村の南にある。地名は地内にある前方後円墳狐山きつねやま古墳の形状によるものであろう。正保郷帳によると村高四四六石余、田方二一町七反余・畑方六町四反余、物成高一二〇石余。「江沼志稿」では高四五五石余、上野うわの村に一四石余の越高がある。家数二二・人数八四、馬四、鎮守は稲荷社。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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