改訂新版 世界大百科事典 「二月堂良弁杉の由来」の意味・わかりやすい解説
二月堂良弁杉の由来 (にがつどうろうべんすぎのゆらい)
人形浄瑠璃。4段。作曲豊沢団平。作詞加古千賀(団平の妻)。1887年2月大阪彦六座初演。菅原の臣水無瀬(みなせ)の妻渚の方(なぎさのかた)は,夫の死後愛育していた光丸を鷲にさらわれ,行方を求めて諸国をさまよう。あるとき二月堂境内の杉の大木に,30年前鷲にさらわれた愛児を捜していると貼紙をする。その貼紙を,参詣に来た東大寺の良弁上人が見て,かつて自分が鷲から落ちて,その杉の枝にかかっていたのを救われたという師の話を思い起こし,驚いて貼紙の主をたずねたところ,現れたのは年老いて女乞食に落ちぶれた渚の方であった。話の内容と持っていた証拠の品から,まぎれもない実の母子であることがわかる。喜んだ上人は仏の霊験に感謝し,自分の立派な輿(こし)に老母を乗せて従う。戯曲としては傑作とはいいがたいが,単純な筋の中に人情に訴える要素が強く,明治期の新作浄瑠璃としては,同一作詞・作曲者の手に成る《壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)》とともに,佳作の部に属するといえよう。人形浄瑠璃として現在も上演されるほか,歌舞伎にも移入され,年功の立女方の演し物(だしもの)となっている。
執筆者:井草 利夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報