二条院讃岐(読み)にじょういんさぬき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

二条院讃岐
にじょういんさぬき

[生]永治1(1141)頃
[没]建保5(1217)頃
平安時代後期の女流歌人。源頼政の娘。若いときから二条天皇に出仕し,永万1 (1165) 年天皇崩御後は藤原重頼と結婚,建久以後に後鳥羽天皇中宮任子 (にんし) に再出仕したが,そののち出家。家集に『二条院讃岐集』があり,『正治百首』『千五百番歌合』などに出詠し,『千載和歌集』以下の勅撰集に 45首入集。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

二条院讃岐 にじょういんの-さぬき

?-? 平安後期-鎌倉時代の歌人。
源頼政の娘。二条天皇につかえた。のち藤原重頼の妻。「我が袖(そで)は汐干(しほひ)に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾くまもなし」(「小倉百人一首」)により沖の石の讃岐ともよばれる。歌は「千載和歌集」「新古今和歌集」などにある。建保(けんぽ)5年(1217)ごろ,77,78歳ほどで死去。家集に「二条院讃岐集」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

二条院讃岐

没年:建保5頃(1217)
生年:永治1頃(1141)
平安時代末,鎌倉時代初頭の女房歌人。父は摂津源氏の右京権大夫頼政,母は源斉頼の孫。初め二条天皇,のちに後鳥羽天皇中宮任子(宜秋門院)に仕え,正治2(1200)年『正治初度百首』,建仁3(1203)年『千五百番歌合』などに出詠,長い期間にわたり歌人として活躍した。代表作は,百人一首に採られた「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」で,この歌にちなんで,「沖の石の讃岐」とも呼ばれた。家集に『二条院讃岐集』があり,『千載和歌集』以下の勅撰集に72首(重複のぞく)が入集している。<参考文献>森本元子『二条院讃岐とその周辺』

(加藤睦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

にじょういんのさぬき【二条院讃岐】

1141ころ‐1217ころ(永治1ころ‐建保5ころ)
平安末期~鎌倉初期の女流歌人。源三位頼政の女。二条天皇女房となり,天皇の没後藤原重頼と結婚した。建久(1190‐99)ごろには後鳥羽院中宮宜秋門院に再出仕し,晩年出家。〈我袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾くまぞなき〉(《千載集》)が有名で,〈沖の石の讃岐〉の異名を得た。技巧の目立たない沈潜した抒情に特色があり,《千載集》以下の勅撰集に74首入集する。【上条 彰次】

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