二階堂トクヨ(読み)にかいどうとくよ

改訂新版 世界大百科事典 「二階堂トクヨ」の意味・わかりやすい解説

二階堂トクヨ (にかいどうとくよ)
生没年:1880-1941(明治13-昭和16)

女子体育の先駆的教育者。宮城県出身。1899年福島女子師範学校を卒業,小学校訓導を経て,1904年東京女子高等師範学校を卒業。金沢高女,高知女子師範を転任し,11年に母校の東京女高師助教授に抜てきされた。翌12年女子体育研究のためイギリスのキングズ・フィールド体育専門学校に留学。15年に帰国し教授となった。日本における女子体育の重要性を説き,22年代々木山谷に二階堂体操塾創立(1924年に世田谷区松原町に移転),26年日本最初の女子体育の学校,日本女子体育専門学校(日本女子体育大学の前身)を創設した。門下からは陸上競技人見絹枝をはじめ,多数の女子体育指導者が輩出した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「二階堂トクヨ」の解説

二階堂トクヨ にかいどう-トクヨ

1880-1941 明治-昭和時代前期の教育者。
明治13年12月5日生まれ。44年母校東京女高師(現お茶の水女子大)の助教授となり,翌年イギリスに留学。大正4年同校教授。11年二階堂体操塾(日本女子体育大の前身)を創設,女子の体育指導者の育成につとめた。昭和16年7月17日死去。62歳。宮城県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例