五勝手村(読み)ごかつてむら

日本歴史地名大系 「五勝手村」の解説

五勝手村
ごかつてむら

[現在地名]檜山郡江差町字椴川町とどがわちよう・字砂川すながわ・字柏町かしわちよう・字南浜町みなみはまちようなど

近世から明治三三年(一九〇〇)まで存続した村。南は椴川を境にしてきた(現上ノ国町)と接し、北は武士ぶし川を境にして江差寺小屋てらこや町と接する。東は山地、西は日本海。村内に古櫃ふるひつ上町・相泊・柳町・寺コ町・蔭ノ町・下町・根符子などの字名があったと伝える。中央を武者見むしやみ川が西流する。「津軽一統志」に「ごがて 家十軒」とある。元禄郷帳では「こかつて村」、享保十二年所附・天保郷帳には「五勝手村」とみえる。天明六年(一七八六)の「蝦夷拾遺」によると、家数一〇〇余・人数三五〇余。「蝦夷草紙別録」では人数三四七。寛政元年(一七八九)菅江真澄は太田山おおたさん(現大成町太田神社)へ向かう途中、五勝手の潮元庵の僧を伴い江差に至っている(蝦夷喧辞弁)。「蝦夷巡覧筆記」によると、当所産物は五月から八月まで雑昆布・海鼠など。水がよく、馬を飼育。平山が近くにあるが、木材になる木はない。沖に平磯があり、ネフコという浜がある。「松前随商録」によると、「ゴカツテ」は松前藩直轄領であった。「西蝦夷地場所地名等控」によると、家数一〇七・人数三四二、産物は鰊・雑昆布・海鼠、ほかに薪など。「西蝦夷地日記」によると家数六〇ほど、馬六〇ほど、図合船五艘・磯舟七艘を所有(文化四年八月一九日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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