日本歴史地名大系 「五料宿」の解説 五料宿ごりようしゆく 群馬県:佐波郡玉村町沼之上村五料宿[現在地名]玉村町五料日光例幣使街道の宿で、利根川右岸に位置。対岸は柴(しば)宿(現伊勢崎市)で五料渡で結ばれる。利根川と烏(からす)川の合流点に近く、新(しん)河岸と結ぶ道もあった。明和元年(一七六四)例幣使街道は幕府道中奉行の管轄となって五街道並みの扱いを受け、当宿も道中奉行の支配下に入った。当宿から玉村宿へ一里半、柴宿へ一里、本庄(ほんじよう)宿(現埼玉県本庄市)へ一里三二町。地子免除はされておらず、宿高四八四石余で、街並は東西一町五四間。天保一四年(一八四三)当時の人数男二六三・女二七八、家数一六一、うち旅籠屋二。高札場は関所内に一ヵ所。駄賃・人足賃は柴宿まで荷物一駄・乗掛荷人共四〇文、軽尻馬一疋二六文、人足一人二〇文、本庄宿まで荷物一駄・乗掛荷人共七五文、軽尻馬一疋四九文、人足一人三七文。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by