デジタル大辞泉
「井上因碩」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
いのうえ‐いんせき【井上因碩】
- 囲碁棋士。囲碁の家元四家の一つ。江戸初期の中村道碩を祖とし、第二世から因碩を名のり第一六世にいたる。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
井上 因碩(16代目)
イノウエ インセキ
大正・昭和期の棋士 囲碁5段。
- 生年
- 明治17(1884)年
- 没年
- 昭和36(1961)年8月21日
- 出生地
- 広島県
- 本名
- 恵下田 仙次郎
- 別名
- 通称=恵下田 因碩,別名=恵下田 宋芳
- 経歴
- 明治33年14代大塚因碩の門に入り、同年初段。大正元年5段となり栄芳と改名した。6年15代因碩が死去し、同門の鴻原正広との間で後継者争いとなったが、11年井門一統の推挙で16代目を継いだ。その後は神戸に住んで関西碁界に重きをなした。13年の日本棋院創立には免状発行権放棄を拒否して参加しなかった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
井上因碩(11代)
没年:安政6(1859)
生年:寛政10(1798)
江戸末期の囲碁棋士。本姓橋本。6歳で服部因淑の門に入り,服部因徹,のちに立徹と改名。文政2(1819)年,井上家跡目となり井上安節と名乗った。7年11代を継ぐ。隠居して幻庵,橘斎と号した。11年,準名人(八段)に進む。名人碁所を目標に努力,天保10(1839)年12世本因坊丈和引退を機に名人碁所の願いを出すが,翌年13世本因坊丈策の跡目秀和との争碁に敗れた。このときの確執を「天保の内訌」という。雄大な碁で元丈,安井仙知(8代),秀和と共に四傑と呼ばれる。清国に渡ろうとした野心家でもあった。『囲碁妙伝』『奕図』などの著書がある。<参考文献>荒木直躬『本因坊丈和全集』(歴代名人打碁大系),橋本宇太郎『幻庵因碩』(日本囲碁大系)
井上因碩(4代)
没年:享保4.12.7(1720.1.16)
生年:正保3(1646)
江戸中期の囲碁棋士。名人。本姓桑原,道節と号した。美濃大垣の生まれ。本因坊道策門下とされるが,年齢は1歳違い。元禄3(1690)年,2代井上因碩(道砂)の養子となり跡目。同9年,3代因碩(後年4代と系図書き変え)を継いだ。同15年,道策の遺言で5世本因坊道知の後見と「碁所を望まぬ」ことを頼まれる。しかし,宝永5(1708)年名人となり,7年免状発行に際し碁所となった。井上家で,中村道碩,幻庵因碩と並ぶ。同家ただひとりの名人で名人因碩と呼ばれる。名著『囲碁発陽論』がある。<参考文献>大平修三『道的・名人因碩』(日本囲碁大系)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
Sponserd by 
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の井上因碩の言及
【碁】より
…なお,碁所の地位を得た者は次の8名のみである。初代本因坊算砂,中村道碩,2世安井算知,4世本因坊道策,4世井上因碩,5世本因坊道知,9世本因坊察元,12世本因坊丈和。江戸時代の家元は算砂を初代とする本因坊家,その跡を継いで碁所に就いた中村道碩を元祖とする井上家,準名人算哲を祖とする安井家,準名人門入(もんにゆう)を祖とする林家の4家である。…
※「井上因碩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 