井上正治(読み)イノウエ マサハル

20世紀日本人名事典 「井上正治」の解説

井上 正治
イノウエ マサハル

昭和・平成期の弁護士 九州大学名誉教授



生年
大正9(1920)年2月11日

没年
平成9(1997)年12月18日

出生地
山口県下関市

学歴〔年〕
九州帝国大学法文学部〔昭和17年〕卒

経歴
戦後、九州大学で刑事訴訟法の研究に打ち込み、特に過失犯理論の第一人者となる。昭和43年佐世保に米原子力空母エンタープライズが寄港した際の“佐世保闘争”で、警察の過剰警備に専門家として抗議の法律闘争を展開。この時、テレビで「警察は敵」と発言したため国会で問題となり、その後44年3月学長事務取扱いに選任されるが、文部省発令拒否の態度をとる。これに抗議する意味で同年6月九大を辞職、弁護士に。以来、破壊活動防止法裁判、連合赤軍裁判などで活躍するが、59年中核派との決別から、破防法裁判の弁護団長を辞任著書に「刑法学」「全訂刑事訴訟法原論」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上正治」の解説

井上正治 いのうえ-まさはる

1920-1997 昭和後期-平成時代の法学者,弁護士。
大正9年2月11日生まれ。刑事訴訟法を専攻し,昭和26年母校九大の教授となる。43年アメリカの原子力空母が佐世保に寄港した際,警察の過剰警備に抗議。44年九大学長事務取扱にえらばれるが,文部省が発令を拒否したため辞任,弁護士となる。連合赤軍事件などを担当した。平成9年12月18日死去。77歳。山口県出身。著作に「過失犯の構造」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「井上正治」の解説

井上 正治 (いのうえ まさはる)

生年月日:1920年2月11日
昭和時代;平成時代の弁護士
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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