形式的意義における刑事訴訟法とは、現行刑事訴訟法典(昭和23年法律第131号)をいう。これに対して、実質的意義における刑事訴訟法とは、刑事訴訟法典のほか、憲法、刑法、刑事訴訟規則、裁判所法、検察庁法、弁護士法、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律、少年法、刑事補償法等々の刑事司法関連法規の総体をさす。
明治初頭の新たな刑事訴訟に関する最初の規則は、1870年(明治3)5月25日の法庭規則(刑部省定、法令全書明治3年207頁以下)であるとされている。この法庭規則は13か条からなり、白洲(しらす)体裁の図を付している。この規則では、「糺問(きゅうもん)之節有位士庶人等之座席不致混雑可取扱事」とし、また「六位已上ハ座鋪(ざほ)吟味之事」として身分による差別的取扱いがみられるが、この身分上の差別は明治5年10月10日司法省達第25号により撤廃された。1873年には、明治6年2月24日司法省達第22号断獄則例を定め、法庭規則は廃止された。断獄則例は26か条からなり、断獄庭略図解および算板(拷問具の一種)図を付している(法令全書明治6年1714頁以下)。法庭規則も断獄則例も法律上の制度としての拷問を許していたことなど、その内容は近代の啓蒙(けいもう)思想と相いれないものを含んでいた。1880年、明治13年7月17日太政官(だじょうかん)布告第37号により頒布された治罪法は、480か条からなり、フランス革命後のフランス法を模範として編纂(へんさん)された日本最初の、本格的な、近代的内容をもった刑事訴訟法であった。
1889年2月11日に大日本帝国憲法が発布(1890年11月29日施行)、1890年10月7日には明治刑事訴訟法(明治23年法律第96号)が公布、11月1日から施行され、治罪法は廃止された。明治刑事訴訟法では若干ドイツ法が加味された。その後、1922年(大正11)5月5日、大正刑事訴訟法(大正11年法律第75号)が公布され、1924年1月1日から施行された。旧刑事訴訟法がこれである。ヨーロッパ大陸では19世紀にいわゆる「改革された刑事訴訟」が確立され、治罪法、明治刑事訴訟法、大正刑事訴訟法も、これを継受しつつ発展してきたものであった。第二次世界大戦後、日本国憲法が制定され、刑事手続に関する詳細な規定が置かれた(31条~40条など)。これに伴って、現行刑事訴訟法が1948年(昭和23)7月10日に公布され、1949年1月1日から施行されるに至った。この新たな刑事訴訟法は、英米法、とくにアメリカ法の影響を強く受けている点に特色がある。
現行刑事訴訟法には、まず、1953年に大幅な改正として、勾留(こうりゅう)期間の延長(208条の2)等の捜査強化の改正や、簡易公判手続の採用(291条の2)等の審理の効率化を図る改正がなされた。その後、新たな刑事訴訟法の解釈に関する判例法が展開される時代が続き、刑事訴訟法の改正は長い間なされなかった。しかし、1990年代に相次いで刑事立法がなされる時代を迎えるに至り、1999年(平成11)にはいわゆる組織犯罪対策三法が成立し、刑事訴訟法との関係では、通信傍受法(平成11年法律第137号。正式名称は「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」)が成立した。また、2000年(平成12)には「犯罪被害者等の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」(平成12年法律第75号。現「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」)等が成立した。この間、1999年7月に内閣に設けられた司法制度改革審議会は、その2年間の審議を終えて、2001年6月に、「司法制度改革審議会意見書―21世紀の日本を支える司法制度―」を発表した。この意見書の提言を受けて、刑事司法に関する大幅な立法作業がなされ、日本の刑事司法は、現行刑事訴訟法の成立後においてもっとも抜本的な変革を遂げることとなった。その結果、2004年5月に、公判前整理手続制度の導入などを含む「刑事訴訟法等の一部を改正する法律」(平成16年法律第62号)、裁判員制度を導入した「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」(平成16年法律第63号)、新たな国選弁護人制度を創設した「総合法律支援法」(平成16年法律第74号)等が成立した。この司法制度改革の動きは、2011年に法務省で開催された「検察の在り方検討会議」の提言を受けて、さらに継続され、2016年5月に、被疑者の取調べの録音・録画制度の導入や合意制度・刑事免責制度の導入等を含む「刑事訴訟法等の一部を改正する法律」(平成28年法律第54号)が成立し、日本の刑事訴訟法は、新たな展開をみせている。
[内田一郎・田口守一 2018年4月18日]
刑事手続の進め方,関係者の権利義務など,刑事訴訟に関する主要な事項を定めた法律。現行法は1948年に公布され,その内容は,裁判所の管轄,裁判官の除斥,忌避,弁護,強制処分,訴訟費用,捜査,起訴,公判,上訴,再審,略式手続,裁判の執行など,刑事手続の全般に及んでいる。日本で最初に制定された西欧型の刑事訴訟法は,1880年の治罪法で,ボアソナードの原案を基礎とするフランス法系の法典であった。その後90年の旧々刑事訴訟法を経て,1922年の旧刑事訴訟法に至ると,ドイツ法の影響も鮮明になったが,いずれにせよヨーロッパ大陸法系に属し,いわゆる職権主義の刑事訴訟法であることに変りはなかった。しかし,47年の日本国憲法施行によって事情は激変し,現行法は,強制処分における令状主義の重視,公判手続における当事者主義の採用などの点で,アメリカ法に接近している。その背後に,日本国憲法のもつ人権規定(主として31条から40条まで)が作用したことはいうまでもない。しかし同時に,法典の編別章別,真実発見の尊重,略式手続の活用など,多くの点で旧法との連続性も保持されている。
日本国憲法の制定と連動する形で全面改正を受けた主要法典は,民法第4編(親族),第5編(相続)と刑事訴訟法だけであり,これらの法領域が,憲法秩序の変化に敏感な部分であることを示した。その後,53年に中規模の改正が行われたが,昭和30年代以降,実質的な改正はほとんどなく,多数の判例に支えられ,運用は定着した状態にある。
→刑事訴訟
執筆者:松尾 浩也
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刑法上の刑罰を適用するための手続法。1890年(明治23)治罪法にかえて制定された。1921年(大正10)ドイツ法の影響をうけて全面改正され,被告人の人権保障に関して若干の配慮が加えられるとともに,検事の捜査権限の拡大も追認。48年(昭和23)英米法の影響のもとに現行の刑事訴訟法が成立した。それまでは判事・検事に広範な訴訟運営の権限を認める糾問主義を採用していたのに対し,予審が廃止されるなど被告人の防御権を強調する当事者主義を採用。令状主義や証拠法の厳格化,黙秘権の尊重などの原則がたてられた。2010年(平成22)の改正で殺人罪などの公訴時効が撤廃された。
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