京極氏遺跡(読み)きょうごくしいせき

国指定史跡ガイド 「京極氏遺跡」の解説

きょうごくしいせき【京極氏遺跡】


滋賀県米原(まいばら)市上平町ほかにある城館と寺院跡。指定名称は「京極氏遺跡 京極氏城館跡(きょうごくしじょうかんあと) 弥高寺跡(やたかじあと)」。県北東部の岐阜県との県境伊吹(いぶき)山の南山麓に位置し、戦国時代に北近江に勢力を張った京極氏の城館跡などである。京極氏は近江をはじめ多くの守護職を得た佐々木氏の一族で、南近江を領した一族の六角(ろっかく)氏に対し、北近江を領した祖の氏信(うじのぶ)以来、多くは市内山東町の柏原館を本拠とした。しかし、16世紀初めに一族の内紛を収めた京極高清は、伊吹山南麓の上平寺に新たに城館を築き、以来、1523年(大永3)の国人一揆で落城するまで北近江の政治・文化の中心として機能した。館跡は標高340m余の山麓に位置して上平寺館または上平館と呼ばれ、60m×40m規模の館跡が残っていて、奥には2ヵ所の池と巨石を配する庭園跡がある。当地には古代を起源とする大谷寺(上平寺)があって、この遺構を利用して館として整備したと考えられ、館跡の隣接地には伊吹神社や京極氏一族の墓所などがある。上平寺城と呼ばれる城跡は、伊吹山から南に延びる尾根の先端、標高699mの場所に築かれ、南北約450m、東西約150mで、最北部に大きな堀切りを配し、南には土塁で囲まれた主郭を最高部に多くの曲輪(くるわ)が分布する。家臣団屋敷跡は標高約300mに位置し、京極氏の家臣として組み込まれた北近江の国人領主の屋敷跡で、土塁をともなう屋敷群は京極氏城館の西の防御を担ったものと思われ、石垣の基底部や礎石などが発見されている。弥高寺跡は城跡と谷をはさんで西側の尾根上に位置し、標高約715mの本堂跡を最高所として南側一帯に坊跡を配している。仁寿年間(851~854年)に僧の三修が伊吹山に開基し、修験道の拠点となった伊吹山寺の寺跡の一部で、15世紀末には京極氏を中心として軍事的用途に使用されるようになった。大門跡と称される場所は前面空堀をめぐらせ、巨大な土塁で枡形空間を構築して本堂跡も三方を土塁で囲み、北側には巨大な堀跡があって軍事的に利用していたことがわかる。このように、わが国戦国大名のあり方を知るうえで貴重であることから、京極氏城館跡をあわせ、京極氏遺跡として、2004年(平成16)に国の史跡に指定された。JR東海道本線近江長岡駅から車で約12分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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