江戸幕府が薬用人参の売買統制のために設置した座。薬用人参は18世紀半ばまでは輸入がほとんどで,朝鮮人参と唐人参があった。朝鮮人参は対馬藩が独占的に輸入販売し,江戸屋敷での屋敷売りのほか,1673年(延宝1)人参座を設け座売りもした。18世紀以後の輸入不振によりやがて廃止。長崎の唐人参の輸入は17世紀後半に始まり,1735年(享保20)江戸長崎屋源右衛門に唐人参座が許可され,1860年(万延1)江戸長崎会所と改称されるまで存続。また8代将軍徳川吉宗は薬用人参の国産を奨励,18世紀後半には国産も盛んとなり,のちには中国へ輸出もされた。1763年(宝暦13)幕府は直営人参の販売普及のため江戸人参座を設置,ついで下売人を定めた。87年(天明7)座を廃止し,江戸飯田町に人参製法所を設置,直接販売としたが,1804年(文化1)薬種問屋への払下げに改めた。43年(天保14)の天保改革により諸問屋が廃され,吹上役所からの払下げとなったが,51年(嘉永4)の諸問屋再興とともに旧制に復した。
執筆者:荒野 泰典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸時代に設けられた薬用人参の専売機関。薬種のなかでも薬効が高く需要の多い人参は特別に扱われた。対馬国府中藩は独占的に輸入する朝鮮人参を江戸屋敷や大坂蔵屋敷で販売し,1673年(延宝元)一時的に江戸で人参座が開設された。長崎貿易の輸入品であった唐人参については,1735年(享保20)江戸の長崎屋源右衛門が唐人参座を許可され,1860年(万延元)まで存続した。また幕府は種を頒布して国産化を奨励し,生産が増加した和人参(お種人参)の販売促進のため1763年(宝暦13)江戸に人参座を設置し,明和・安永頃には下売人が任命された。87年(天明7)座を廃止して人参製法所をおき直接販売した。京都・大坂でもこの時期に人参売弘会所が設置された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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