日本歴史地名大系 「仁方村」の解説 仁方村にがたむら 広島県:呉市仁方村[現在地名]呉市仁方本(にがたほん)町一―三丁目・仁方〈中筋(なかすじ)町・宮上(みやがみ)町・西神(にしがみ)町・錦(にしき)町・大歳(おおとし)町・桟橋通(さんばしどおり)・皆実(みなみ)町〉・仁方町現呉市東南端に位置し、東は川尻(かわじり)村(現豊田郡川尻町)、北から西は広(ひろ)村に接する。南は瀬戸内海に面し、下蒲刈(しもかまがり)島(現安芸郡下蒲刈町)に対する。賀茂郡に属した。東から北は野呂(のろ)山(八三九・四メートル)の斜面で、標高四〇〇―五〇〇メートル、西部もその支脈で畠嶽(しらたけ)山(三五七・九メートル)を主とする二〇〇―三〇〇メートルの山地。中央部を村内の大松尾(おおまつお)山・小松尾山に発する錦(にしき)川(西川)など四つの川がほぼ南流し、低地が形成される。南方海上下蒲刈島との間は猫迫門(ねこせと)(女猫の瀬戸)とよばれる小難所で、「潮さし引の時は、潮水うづまきて、通船やゝ難し」(芸藩通志)といわれ、その名の由来は「地方に猫山あり、又迫門の口に女猫(めねこ)島あり、故に猫迫門とよぶ、或は行舟の無難を祝し、猫の倒れざるに比すともいふ」(同書)とされる。 仁方村にがたむら 兵庫県:佐用郡佐用町仁方村[現在地名]佐用町仁方福沢(ふくさわ)村の北、江川(えかわ)川両岸の河岸平地と後背山地に立地する。仁方・安井(やすい)の二集落がある。山地は標高二〇〇―三〇〇メートルの間である。慶長国絵図に二方村とみえる。江戸期の領主の変遷は当初は佐用(さよ)村に、寛永一七年(一六四〇)以降は西河内(にしがいち)村に同じ。正保郷帳では田方二九九石余・畠方七九石余、旱損所、芝山有、小松はへ有と注記される。元禄郷帳には古くは仁方村の頭注付きで安井村とある。天保郷帳では仁方村で高三九六石余。元文四年(一七三九)の旗本松井氏平福領一揆の際に当村も天狗回状に連判、鎮圧後首謀者として村民一人が処罰された(「百姓一揆一件」田住家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by