瀬戸内海に面して位置し、旧安芸郡東南部と旧賀茂郡西南部よりなる。東は豊田郡
呉の名は永暦元年(一一六〇)六月二八日付の美福門院令旨(高野山文書)に「安摩庄呉浦事」として「召取国司庁宣、成副庁御下文、遣僧正御許了、自彼定奉送歟」とあるのが初見で、元暦二年(一一八五)正月九日付の源頼朝下文(石清水文書)で八幡宮寺領をあげたなかに「安芸国呉保」があり、「右件庄々者八幡宮寺往古神領也、而近年之間依平家追討、守護武士等或猥抑留御年貢、或宛催兵糧米(下略)」とある。なお呉の訓については康応元年(一三八九)の「鹿苑院殿厳島詣記」に「内の海、かうしろ、ひろ、くれ、はたみ(中略)かやうの浦々過させ給へり」とあり、「くれ」と読んだことが知られる。ただし呉の地名は、呉浦を包含するとされる
縄文時代前期から晩期の土器および石鏃・石棒・石錘・刃器の出土した
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報