日本歴史地名大系 「今林村」の解説 今林村いまばやしむら 大阪府:大阪市東住吉区今林村[現在地名]東住吉区今林一―四丁目など住吉郡に属し、平野郷(ひらのごう)町散郷四ヵ村の一(平野区の→平野郷町)。新在家(しんざいけ)村の東にあり、東の村境を平野川が北西流し、南端を奈良街道が通る。慶長六年(一六〇一)平野庄(のちの平野郷町)が水通し樋について隣村田島(たしま)村(現生野区)と争ったとき、契約書に同庄年寄とともに今林政所甚右衛尉がみえる(平野郷町誌)。同一〇年摂津国絵図には狭山(さやま)池(現南河内郡狭山町)西井路筋として村名が載る。同一九年大坂冬の陣の折、徳川・豊臣双方の間で当地の陣取り争いが行われて焼亡、陣後復興されその時の建家二〇軒(「雑記」土橋家文書)。 今林村いまばやしむら 京都府:船井郡園部町今林村[現在地名]園部町内林町(うちばやしまち)垣内(かいち)村の北にあり、北は岡田(おかだ)村・瓜生野(うりうの)村、東は曾我谷(そがだに)村、西は瓜生野村。丘陵の南側に東西に人家が並び、南に田地が続く。古代末―中世は今林庄の地。狭小な村で、高は元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳に一四五石余、天保郷帳には一七二石余とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by