仏独協力条約(読み)フツドクキョウリョクジョウヤク

デジタル大辞泉 「仏独協力条約」の意味・読み・例文・類語

ふつどくきょうりょく‐じょうやく〔フツドクケフリヨクデウヤク〕【仏独協力条約】

エリゼ条約

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「仏独協力条約」の意味・わかりやすい解説

仏独協力条約
ふつどくきょうりょくじょうやく

1963年1月22日、フランスドゴール大統領と西ドイツ(現ドイツ)のアデナウアー首相とによりパリ署名締結された条約(同年7月2日発効)。エリゼ宮殿で調印されたので、「エリゼ条約」ともいわれる。その動機として、頭越しにヨーロッパの問題を解決しようとする米ソ二超大国に対する、両者反発のあったことが指摘されている。この条約でフランス・西ドイツ両国は、政府首脳(年2回)、外務国防・教育諸閣僚(年4回)、参謀総長(年6回)の定期協議、重要な決定に先だつ外務大臣間協議、情報交換の継続および拡大、発展途上国援助その他重要な経済政策分野での協力、共通の戦略理論の策定、軍の人事交流、装備面での共同作業、青少年の交流などについて定め、密接な協力を約束している。条約署名と同時に出されたアデナウアー・ドゴール声明では、両国間の協力が「統一欧州への不可欠な一歩である」とされているが、1963年2月5日、ソ連は西ドイツ政府あて覚書を送り、仏独協力条約、とくに同条約で規定されている仏独軍事協力がヨーロッパの平和破壊に連なるものであると警告した。

[深谷満雄]

 この条約によるフランスとドイツの協力関係の強化は、EUヨーロッパ連合成立原動力となった。なお、2003年にはパリで仏独協力条約の40周年記念式典が行われた。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「仏独協力条約」の意味・わかりやすい解説

仏独協力条約
ふつどくきょうりょくじょうやく
Franco-German Cooperation Treaty

1963年1月 22日フランスの C.ドゴール大統領と西ドイツの K.アデナウアー首相によりパリで調印された条約。外交,経済,防衛,文化などの面での協力を定めたほか,年2回の定期協議の実施などを規定した。この条約は過去数世紀にわたる両国の対立抗争に終止符を打つ歴史的な条約で,同時に西ヨーロッパの頭越しにヨーロッパ問題を解決しようとするアメリカとソ連に対する両国の反発という意味もこめられ,ボン=パリ枢軸という言葉がこの条約によって生れた。条約調印 25周年を迎えた 88年にはミッテラン大統領とコール首相との間で独仏合同旅団の設立に合意,92年5月には将来のヨーロッパにおける軍事統合の中核として,合同旅団の規模を拡大した合同軍の設立を発表するなど枢軸関係の強化がはかられた。 93年1月には条約調印 30周年を迎え,マーストリヒト条約調印後のヨーロッパ統合の牽引役を両国がになっていくことが確認された。

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