日本大百科全書(ニッポニカ) 「アデナウアー」の意味・わかりやすい解説
アデナウアー
あでなうあー
Konrad Adenauer
(1876―1967)
ドイツの政治家。ケルン生まれ。弁護士出身。1906年中央党に入党し、1917~1933年ケルン市長。この間1917~1918年プロイセン貴族院議員、1920~1933年プロイセン枢密院議長を務めた。当時、ライン地方のプロイセンからの分離を主張し、また中央党指導者として一時はブリューニングと首相の地位を争うなど政治的に大きな影響力をもった。1933年ナチ政権成立とともにケルン市長職およびいっさいの官職を奪われ、1944年には、ヒトラー暗殺未遂事件(七月二〇日事件)との関連で短期間投獄された。1945年アメリカ軍のケルン占領とともに一時ケルン市長に返り咲き、同年キリスト教民主同盟(CDU)の創設に参加し、1946年イギリス占領地区CDUの総裁に選出された。1948年米英仏占領地区における議会的協議会(制憲議会)の発足とともにその議長を務め、1949年ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の初代首相に就任した。「アデナウアー時代」とよばれる治政の14年間、一貫して親米・反共の姿勢をとり、アメリカの援助を得て西ドイツを経済的、軍事的に復興させるとともに、その国際的地位の確立に努め、またフランスその他西欧諸国に対しては協調政策を推進した。しかし、旧ソ連その他東側諸国に対しては「力の立場」を崩さず、このため東側諸国からは「報復主義者」とよばれた。1963年首相を辞任し、1966年CDU総裁も辞任した。
[深谷満雄]
『佐瀬昌盛訳『アデナウアー回顧録Ⅰ・Ⅱ』(1968・河出書房新社)』