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仲尾次政隆 なかおし せいりゅう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

仲尾次政隆 なかおし-せいりゅう

1810-1871 琉球の官吏。
尚灝王7年5月11日生まれ。那覇(なは)総横目をつとめ,41歳で今帰仁間切(なきじんまぎり)仲尾次の地頭となる。薩摩(さつま)鹿児島藩が禁止していた真宗を布教するが,1853年密告されて八重山へ無期流刑となった。宮良橋をかけたことで赦免願いがゆるされ,1865年那覇にもどった。尚泰王24年7月8日死去。62歳。日記に「配流日記」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

仲尾次政隆

没年:尚泰24.7.8(1871.8.23)
生年:尚【外6BB4】7.5.11(1810.6.12)
浄土真宗を琉球に布教した人物。曾祖父は京都の出で,那覇に居を構えて運送,貿易に従事。財力がものをいう諸役職を歴任ののち今帰仁間切(今帰仁村)仲尾次の地頭となる。家は代々,真宗の信者で,政隆が下級士族や遊女などに禁制の真宗を布教したことが王府に発覚,詮議の結果,八重山への無期流刑となる。配流地には息子とふたりの供が同行し,その身が拘束されることもなく,旅妻を求め,持ち船で商売に従事するなど,流罪人としては破格の待遇を受けた。私財を投じての宮良橋架橋の完成は大いに感謝され,官民が赦免の嘆願書に連署して王府に提出,これが認められ配流11年後に那覇に戻った。配流中の記録『配流日記』が残っている。

(上江洲敏夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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