仲尾次村(読み)なこーしむら

日本歴史地名大系 「仲尾次村」の解説

仲尾次村
なこーしむら

[現在地名]今帰仁村仲尾次なかおし

与那嶺ゆなーみ村の東に位置し、東は崎山しちやま村。仲尾次は中尾次とも書き、地元ではノーシ、ノホーシとも発音する。古くは中城と記してナカグシク、ナカグスクとも発音した。中城から仲尾次に改められたのは、琉球国王の世子が中城なかぐすく間切を領して中城王子を称することが慣例となり、中城の用字を避けたためとされる。「南島風土記」によると、寛文八年(一六六八)一一月二八日に「中城と申名字衆中百姓下々迄も、御法度にて候間、別名に替申候様可被申渡候」との布令が発せられている。これ以降、中城から仲尾次となったと思われるが、この達しは徹底していなかったようで、尚敬王元年(一七一三)に編纂された「琉球国由来記」では中城村・中尾次村の二つの表記が同時に出てくる。


仲尾次村
なこーしむら

[現在地名]名護市仲尾次なかおし

羽地はにじ間切の北東寄りに位置し、南西川上はーみ村。ヌホーシ、ナホーシともよぶ。集落羽地はねじ内海に面し、南に山地が広がる。現在、東側を真喜屋まきや大川が、西側を一九二二年(大正一一年)に付替えられた羽地はねじ大川が流れる。絵図郷村帳・琉球国高究帳では羽地間切「中城村」、「琉球国由来記」に中尾次村、乾隆二年帳には仲尾次村と記され、「ペリー艦隊日本遠征記」にはNacosi(ナコシ)みえる。前掲高究帳では高頭一八六石余、うち田一七九石余(うち永代荒地八斗余)・畠六石余。乾隆七年(一七四二)の竿入帳によると屋敷数六〇(真羽地)。集落の北側に馬場があった。同四二年四月四日、「羽地県仲尾次村」の鍋平良の家屋に雷が落ちて焼けたが、家人は無事であった(「球陽」尚穆王二六年条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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