伊地知幸介(読み)いぢち・こうすけ

朝日日本歴史人物事典 「伊地知幸介」の解説

伊地知幸介

没年:大正6.1.23(1917)
生年:安政1.11.6(1854.12.25)
明治期の陸軍軍人薩摩(鹿児島)藩士伊地知直右衛門の長男。大山巌元帥の兄成美の女婿陸軍幼年学校,陸軍士官学校を卒業後,明治12(1879)年砲兵少尉となり,13年から15年までフランスに留学し,近衛砲兵連隊副官を経験。17年大山陸軍卿に従ってヨーロッパ留学,そのままドイツで軍事研究を行った。21年の帰国後は野戦砲兵第1連隊大隊長,24年参謀本部第2局員となり日清戦争(1894~95)中も大本営参謀として金州,旅順と転戦。戦後は参謀本部第1部長などを歴任日露戦争(1904~05)の際は乃木希典の下で第3軍参謀長を務めたが,旅順攻略戦の不手際の責めを負う。陥落後は半ば引責の形で旅順要塞司令官。戦後は中将,男爵となり第11師団長などを務めた。

(田浦雅徳)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊地知幸介」の解説

伊地知幸介 いじち-こうすけ

1854-1917 明治時代の軍人。
嘉永(かえい)7年11月6日生まれ。フランス,ドイツに留学後,明治22年野戦砲兵第一連隊大隊長。日清(にっしん)戦争では大本営参謀として旅順などでたたかう。日露戦争では乃木希典(のぎ-まれすけ)大将のもとで第三軍参謀長をつとめる。38年旅順要塞司令官,翌年陸軍中将。大正6年1月23日死去。64歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。陸軍士官学校卒。

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