伊藤松軒(読み)いとう・しょうけん

朝日日本歴史人物事典 「伊藤松軒」の解説

伊藤松軒

没年:寛政6.10.30(1794.11.22)
生年:宝永6(1709)
江戸中期の歌人。青山備前守幸覃の家臣であったが,のち浪人して江戸麻布竜土町に住む。晩年内田家に仕えるか。烏丸光栄,武者小路実岳,日野資枝門。また江戸では亨弁に師事し,下級武家歌人達を指導するに至る。萩原宗固とは同門として親交を結んだ。家集『倚翠庵和歌』(刊本)のほか,写本の『倚翠庵和歌の浦波』が伝存する。人脈上も江戸歌壇の中心たりえた存在であったが,実像はまだ十分明らかになっていない。<参考文献>松野陽一「明和安永期江戸歌壇と渋谷室泉寺」(『和歌文学研究』54号)

(久保田啓一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤松軒」の解説

伊藤松軒 いとう-しょうけん

1709-1794 江戸時代中期の歌人。
宝永6年生まれ。浪人して江戸麻布にすむ。武者小路実岳(さねおか),烏丸光栄(からすまる-みつひで),烏丸光胤(みつたね),日野資枝(ひの-すけき)にまなび,絵にもすぐれた。寛政6年10月30日死去。86歳。通称は次太夫。別号に倚翠庵(いすいあん)。「倚翠庵和歌」などをあらわす。

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