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ペリー Perry, Bliss

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペリー
Perry, Bliss

[生]1860.11.25. マサチューセッツ,ウィリアムズタウン
[没]1954.2.13. ニューハンプシャー,エクセター
アメリカの批評家,編集者,小説家。ウィリアムズ・カレッジ卒業。母校 (1886~93) ,プリンストン大学 (93~1900) ,ハーバード大学 (07~30) で教鞭をとり,かたわら『アトランティック・マンスリー』誌の編集長 (1899~1909) をつとめた。主著『ホイットマン』 Whitman (06) ,『ホイッティア』 Whittier (07) ,『アメリカの精神』 The American Mind (12) ,『カーライル』 Carlyle (15) ,『文学におけるアメリカ魂』 The American Spirit in Literature (18) 。

ペリー
Perry, Matthew Calbraith

[生]1794.4.10. ロードアイランド,サウスキングストン
[没]1858.3.4. ニューヨーク
アメリカ海軍軍人。日米和親条約の締結使節。アフリカ沿岸の奴隷貿易取締り,アメリカ=メキシコ戦争などで活躍。 1852年東インド艦隊司令官となり,同年3月日本開港を目的とする遠征艦隊司令官に任命され,嘉永6年6月3日 (1853年7月8日) M.フィルモア大統領の将軍あて書簡をたずさえ,軍艦4隻で江戸湾に到着,威圧的に開港を迫り,翌年再び江戸へ来て日米和親条約を締結した。その結果箱館,下田が開港,日米通商が開始されて日本の鎖国時代は終った。著書『日本遠征記』 Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan (3巻,1856~60) 。

ペリー
Perry, Oliver Hazard

[生]1785.8.23. ロードアイランド,サウスキングストン
[没]1819.8.23.
アメリカの海軍軍人。日本の開国を促した M.ペリーの兄。アメリカ=イギリス戦争 (1812) に際し,エリー湖のアメリカ艦隊を指揮。急造の艦隊で 1813年9月 10日ほぼ同数のイギリス艦隊を撃破し,アメリカ軍のカナダ侵入を助け,国民的英雄となった。さらにガン条約締結に際してのアメリカの北西部領有権主張の根拠をつくった。ベネズエラへおもむいた帰途黄熱病で死去。

ペリー
Perry, Ralph Barton

[生]1876.7.3. バーモント,ポウルトニ
[没]1957.1.22. マサチューセッツ,ケンブリッジ
アメリカの実在論哲学者。ハーバード大学哲学教授。 1912年ほかの5名の若いアメリカ人哲学者とともに新実在論を唱え,外界は認識主体に依存しないことを主張。また価値の基礎を「興味」におき,これに基づいて善・悪の倫理を展開した。第1次世界大戦への従軍の経験をもとに戦闘的民主主義を唱えた。主著"The Present Conflict of Ideals" (1918) ,"Present Philosophical Tendencies" (25) ,"General Theory of Value" (26) ,"The Thought and Character of William James" (35) ,"Puritanism and Democracy" (44) ,"Realms of Value" (54) 。

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デジタル大辞泉の解説

ペリー(Matthew Calbraith Perry)

[1794~1858]米国の海軍軍人。東インド艦隊司令長官として、嘉永6年(1853)軍艦4隻を率いて浦賀来航。日本に開国をせまり、翌年再び来航、日米和親条約を締結した。著「日本遠征記」。ペルリ

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百科事典マイペディアの解説

ペリー

英国の応用数学者。グラスゴー大学ケルビン助手を務め,1875年―1882年来日し工部大学校で土木学を教えた。帰国後ロンドン王立理科大学教授。1901年から数学教育の改革を唱え,いわゆるペリー運動をおしすすめた。

ペリー

米国の海軍軍人。日本開国の先駆者。米国の最初の蒸気軍艦フルトン2世号の艦長などを経て1852年東インド艦隊司令長官に就任。1853年軍艦4隻を率いて浦賀沖に来航,フィルモア大統領の国書を提出して幕府に開国を迫った。
→関連項目浦賀江川太郎左衛門江戸切子オランダ風説書開国論神奈川久里浜黒船鎖国高島秋帆徳川家慶徳川斉昭フィルモア明治維新安井息軒吉田松陰

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ペリー Perry, Matthew Calbraith

1794-1858 アメリカの軍人。
1794年4月10日生まれ。海軍大佐。東インド艦隊司令長官となり,嘉永(かえい)6年(1853)浦賀沖に来航。日本に開国をもとめるフィルモア大統領の国書を幕府にわたし,翌年再来日して日米和親条約を締結した。帰途,琉球王国とも修好条約調印。1858年3月4日死去。63歳。ロードアイランド州出身。著作に『ペリー提督日本遠征日記』。

ペリー Perry, John

1850-1920 イギリスの数学者,工学者。
1850年2月14日生まれ。明治8年(1875)来日し,工部大学校(現東大)の助教授となり,数学をおしえた。当時,日本で知られていなかった方眼紙を使用させた。12年帰国。1920年8月4日死去。70歳。アイルランド出身。クイーンズ-カレッジ卒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

ペリー

没年:1858.3.4(1858.3.4)
生年:1794.4.10
幕末のアメリカの海軍軍人。マサチューセッツ州ニューポートに海軍大佐の父クリストファーと母セーラの3男として生まれる。1809年1月海軍士官候補生の辞令を受け,13年7月海軍中尉,26年3月中佐を経て,37年2月,海軍の最高地位である大佐に昇進した。33年1月ニューヨークのブルックリン海軍工廠の造船場長,41年には同司令官になる。工廠在勤中,ミシシッピ号,ミズーリ号など蒸気船3隻の建造,灯台施設の改良,士官教育の振興に尽くし蒸気海軍の父としてたたえられた。43年4月アフリカ艦隊司令長官,46年5月メキシコ湾艦隊副司令官,47年3月同司令長官に就き軍功を現した。52年3月,東インド艦隊司令長官に就き,嘉永6年6月3日(1853年7月8日),対日交渉のために浦賀に来航,久里浜でアメリカ大統領フィルモアからの国書を手渡した。翌安政1(1854)年2月再び来日し,3月3日(3月31日)に日米和親条約を締結。57年12月退役した。<著作>『ペリー日本遠征日記』(金井圓訳)<参考文献>S.E.Morison《Old Bruin》

(内海孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ペリー【Matthew Calbraith Perry】

1794‐1858
アメリカの海軍将官。日本開国の先駆者,最初の日米条約の締結者。ロード・アイランド州サウス・キングストンに海軍一家の三男として生まれる。1809年,海軍に入り,兄オリバーOliver Hazard Perry指揮下の砲艦勤務を振出しに,1812年英米戦争に参加,その後アフリカ,西インド諸島,地中海方面で海賊鎮圧などに従事。33‐41年,海軍教育の改革に尽力,海軍の近代化を強力に唱え,1837年アメリカ最初の蒸気軍艦フルトン2世号の艦長になる(のち〈蒸気船海軍の父〉といわれる)。

ペリー【Ralph Barton Perry】

1876‐1957
アメリカの哲学者バーモント州のポールトニーに生まれ,プリンストン大学ハーバード大学で学び,1902年から46年までハーバード大学で教えた。アメリカ思想史の研究者でもあり,特にW.ジェームズ研究の権威で,《ウィリアム・ジェームズの思想と性格》2巻(1935。1936年度のピュリッツァー賞受賞)の著者としてもよく知られている。ペリーの哲学的立場はみずから〈新実在論〉と称しているもので,論理学,数学および自然諸科学において究明される実体は心的なものではなく,認識する精神とは独立に存在し,それらの実在性は認識のされ方にはまったく依存しないと説く。

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大辞林 第三版の解説

ペリー【Perry】

〔John P.〕 (1850~1920) イギリスの数学者。1875年(明治8)来日し、工部学校で教え、日本の数学教育に影響を与えた。帰国後、数学教育改革運動を起こした。著「数学の教育」
〔Matthew Calbraith P.〕 (1794~1858) アメリカの海軍軍人。東インド艦隊司令官。1853年(嘉永6)浦賀に入港して開国を要求。いったん退去後、翌年江戸湾に再来し、日米和親条約を締結。帰国の途中琉球王国と通商条約を調印した。著「日本遠征記」。ペルリ。

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飲み物がわかる辞典の解説

ペリー【perry】


イギリス、フランスなどでつくられる洋梨原料に用いた醸造酒。生食用ではなく、タンニンと酸が多いペリー醸造用品種の果汁を発酵させてつくる。発泡性があるものが多く、アルコール度数は4~8度程度。

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367日誕生日大事典の解説

ペリー

生年月日:1850年2月14日
イギリスの数学者
1920年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内のペリーの言及

【小笠原諸島】より

… 対外的危機を訴えた林子平や渡辺崋山,高野長英らにより,蝦夷地とともに開拓することが説かれたが,1823年(文政6)アメリカの船員が母島に上陸し,27年にはイギリスの艦船が父島に寄港して領有を宣言した。次いで30年(天保1)にはアメリカ人セボリーらがハワイ系住民20人をつれて移住し,53年(嘉永6)にはペリーが日本渡航のさい寄港してセボリーをアメリカの植民政府長官に任じ,貯炭所の敷地購入などを行った。このため米英間に諸島の帰属問題をめぐって紛議が生じたが,幕府は62年(文久2)ようやく外国奉行らを派遣して日本領たることを宣言し,八丈島民30余人を移住させて開拓に当たらせようとした。…

【開国】より

…対外的に鎖国をつづけていた封建日本が,欧米の先進資本主義列強に近代的な国交・通商関係を強いられ,不平等条約の締結を起点として資本主義的世界市場と近代国際政治のなかに従属的に包摂されたこと。
[条約の締結]
 日本の開国は,1853年7月(嘉永6年6月),浦賀に来航したペリー提督が率いる蒸気艦隊に威圧された幕府がまずアメリカ大統領国書を受領し,翌年(安政1)3月,再度来航したペリーとのあいだに日米和親条約(神奈川条約)を締結したのを発端とする。以来,幕府は,イギリス,ロシア,オランダとも和親条約を結び,外国船の寄港と補給のために下田,箱館,長崎などを開港したが,なお自由な通商貿易を認めてはいなかった。…

【琉球】より

…それに,1816年のイギリス艦隊の来航を皮切りにイギリス,フランス,オランダ,アメリカ,ロシアなど異国船の来航が相次ぐようになり,内憂にさらに外患が加わった。1853‐54年にアメリカ艦隊を率いて4度も琉球に来航したペリー提督は,武力を背景に開国,通商を迫った。これに対して琉球は言を左右して抵抗したが,ついにアメリカとの間に琉米修好条約(1854)の締結を余儀なくされた。…

※「ペリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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