ブレーク(英語表記)William Blake

精選版 日本国語大辞典 「ブレーク」の意味・読み・例文・類語

ブレーク

〘名〙 (break)
ボクシングレスリングで、一方が相手の攻撃を避けようとして、両者が組み合う体勢になったとき、レフリーが離れて戦うように命令すること。また、その時の言葉。
ラグビーで、スクラムを解くこと。
③ テニスで、相手のサービスゲームを打ち破ること。
④ 休憩。停止。「コーヒーブレーク
⑤ 売上げや人気が飛躍的に伸びること。「最近ブレークした歌手」

ブレーク

(William Blake ウィリアム━) イギリスの詩人、画家。のちに「預言書」と称される自作の神話的叙事詩集などに、独特な装飾性と幻想性に満ちた挿絵の版画を残した。著に詩集「無垢の歌」「経験の歌」など。(一七五七‐一八二七

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デジタル大辞泉 「ブレーク」の意味・読み・例文・類語

ブレーク(break)

[名](スル)《「ブレイク」とも》
ボクシングで、クリンチの体勢となったとき、レフェリーが選手に離れるように命じる語。
テニスで、レシーブ側が相手のサービスゲームに勝つこと。
停止。休憩。「ティーブレーク
急に人気が出ること。大当たり。ヒット。「女子高生ブレークする」

ブレーク(William Blake)

[1757~1827]英国の詩人・画家・版画家。ロマン主義の先駆者で、深い精神性をもつ幻視と幻想の世界を象徴的に表現した。詩画集「無垢の歌」「経験の歌」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「ブレーク」の意味・わかりやすい解説

ブレーク
William Blake
生没年:1757-1827

イギリスの前ロマン派の詩人,画家。科学尊重の18世紀の〈散文と理性の時代〉にあって,人間の自由をしばる因襲的モラルに反対し,ことばよりシンボルを,理性よりは活力(エナジー)を重視,想像力によってユニークな神話的ビジョンの世界をつくった神秘詩人。ロンドンの洋品商の次男に生まれ,子どものころから異常な幻視力を示し,ペカム・ライで木に天使が鈴なりになっているといって父に叱られたこともあった。正規の学校教育は受けなかったが,10歳のときパーズ画塾に入りバザイアJames Basire(1730-1802)から彫刻銅版画を習った。1782年,園芸家の娘キャサリン・バウチャーと結婚,W.ヘーリーの庇護を受けつつ彫版で家計を支え,あとは創作に熱中した。彼の強い幻想は,同時代の芸術家や大衆の理解をこえることもあり,憤りと熱狂のすえ偏執病に陥ったこともあった。処女詩集《小品詩集》(1783)のあとに出した《無心のうた》(1789)と,それに《経験のうた》を加えて合本とした《無心と経験のうた》(1794)は,ブレークの特質を表す傑作である。副題にある〈人間精神の二つの対立状態〉が,小羊のような柔和な動物とキリストとが一体化した清らかで無心の子ども世界と,その世界の夢と希望をくだく非情な大人の経験世界との対比でうまく説明されている。少年の愛の花咲く野原を茨(いばら)の墓地に変えた僧侶の詩〈愛の花園〉はその一例である。この対立は,この段階では調和されずに,〈黙示録的な風刺作品〉の《天国と地獄の結婚》(1790-93)へ続く。善と悪,精神と肉体,活力と理性,愛憎はもともと人間の本性であり,この対立衝突を経て,人間はより高次な調和の状態に達すると考えた。この着想には相反する性質の物質の結合から金属変成が生じるというパラケルススや,魂の再生を実現するのに対立の弁証法を用いたJ.ベーメの影響もある。また正統的な教会主義に反対したE.スウェーデンボリの倫理観をこえようとするブレークの意図は,痛烈な〈地獄の格言〉や,理性に対する活力の優位論によく表れている。後年の予言書である,《アルビオンの娘の幻想》(1793),《アメリカ》(1793),《ヨーロッパ》(1794),《ユリゼンの書》(1794),《ロスの書》(1795)で,人間本来の神聖さと自由を抑圧する因襲的な世界観への反発と解放への自由をうたい,《四分身》では,これらの小予言書を総合した壮大な神話創造を目ざした。暴君で理性の神ユリゼンが戦争道具を捨てて〈鋤と農具〉を取り戻す条は,活力と理性などの対立矛盾の調和を暗示し,この作品の新しい詩的宇宙観をのぞかせている。1827年無名のまま公共墓地に埋葬された。日本への影響は大和田建樹の訳を皮切りに,創作面では〈病める薔薇(ばら)〉(《経験のうた》所収)が三木露風の同名の詩や佐藤春夫の《病める薔薇(そうび)》(のちの《田園の憂鬱》)の基本モティーフに生きている。思想宗教面では,和辻哲郎,柳宗悦,山宮允の著作に感化のあとがみられる。
執筆者:

1779年,ブレークは彫刻銅版画を学んだJ.バザイアの工房を出,王立アカデミーに入学する。しかし,当時の新古典主義的歴史画をもっぱらとする主流から離れ,油彩を嫌い,すでに習得していた職人的複製版画の技法を基盤に,創作版画家としての道を目ざす。ストザードThomas Stothard(1775-1834),J.フラックスマンらから学んだ,輪郭線を主とした素描を生かしてレリーフエッチング(腐食した部分にインキを詰めないで残った凸部分にインキをつけて刷る凸版の版画)の技法を開発し,中世写本の効果を再現するような活字と挿絵の融合を試みる。またゴシック期の聖堂や装飾,彫刻の模写を通じて得た中世美術とミケランジェロの芸術への傾倒,そしてJ.H.フュッスリとの交友は彼の造形的源泉となるとともに,強烈な幻想性の糧でもあった。1794年の《無心と経験のうた》において彩色版画の連作形式が確立し,比喩に富むランベス予言書群(《アメリカ》《ヨーロッパ》《ユリゼンの書》など)では,しだいにページに占める挿絵の割合が増大してゆく。95年の動的な構図を駆使した《アダムを創造する神》《癩の家》などの一連の一種のモノタイプに至っては,哲学的に解釈した神話や聖書を独自のイメージによって表現している。また1800年前後の聖書を主題とした一連のテンペラ画では,闇と光の強烈なコントラストを用い,重厚な画像を生み出す一方,水彩画では淡彩の効果と大胆なフォルムで詩情に富む挿画を実現する。言語と絵画の総合を求めた彼の芸術は,10年代ののびやかな白線を多様に用いた彩色版画連作《ミルトン》《エルサレム》,晩年の大作である水彩画《ダンテ》において調和と完成の域に達する。晩年彼の周囲に集まった若い画家たち,とくにS.パーマーE.カルバートらに深い影響を与えるが,その内面的芸術の真価は一世代のちのラファエル前派の人々に発見され評価されることになる。
執筆者:

ブレーク
Edward Blake
生没年:1833-1912

カナダの政治家。1880-87年自由党党首。トロント大学卒業後,弁護士を経て1867年カナダ自治領初の総選挙で下院に選出され,政界に入る。同時にオンタリオ州議会議員に選出され,71年オンタリオ州首相に就任するが,二重代表制の廃止にともない州首相を辞任し,73年A.マッケンジー自由党内閣の成立とともに無任所大臣として入閣。一時自由党を離れ,カナダ・ナショナリズムを唱道する〈カナダ第一〉運動に身を投ずるが,そのころオーロラで行った〈独立国カナダ〉を訴える演説は有名である。75年に再び自由党に復帰し法務大臣となり,カナダ最高裁判所の樹立に尽力した。自由党党首としてはあまり活躍をみせず,91年にカナダ政界を辞し,晩年はアイルランドに移り自治実現運動に携わった。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブレーク」の意味・わかりやすい解説

ブレーク
Blake, William

[生]1757.11.28. ロンドン
[没]1827.8.12. ロンドン
イギリスの詩人,画家,神秘思想家。 14歳で彫版師 J.バザイアに弟子入りし,1779年王立アカデミーの画学校に入学。 83年最初の詩集を出版,89年には銅版画に着色した「彩色印刷」の手製本『無垢の歌』 Songs of Innocenceを出版。以後ほとんどすべての作品をこの方法で少部数制作した。『天国と地獄の結婚』 The Marriage of Heaven and Hell (1793) ,『無垢の歌』の姉妹編『経験の歌』 Songs of Experience (94) などがあり,特に『アルビオンの娘たちの幻想』 Visions of the Daughters of Albion (93) 以下,『ミルトン』 Milton (1804~08) ,『エルサレム』 Jerusalem (04~20) にいたる,「予言書」と呼ばれる壮大な叙事詩群では,幻視と神秘思想による独自な神話世界を現出した。晩年には詩作を離れ,ミルトンやダンテなどの挿絵を制作した。生前はほとんど理解されず,彫版を生業として貧窮のうちに過したが,ようやく 20世紀にいたってその巨大な全体像が明らかにされた。

ブレーク
Blake, Edward

[生]1833.10.13. アッパーカナダ,アデレイド
[没]1912.3.1. トロント
カナダの政治家。オンタリオ州首相 (在任 1871~72) 。 1856年法曹界に入り,67年コンフェデレーション後初の選挙で自由党から連邦下院に当選。 71年オンタリオ州首相に就任。法律に詳しく,A.マッケンジーの自由党内閣に法相として入閣中 (75~77) に,カナダ最高裁判所の創設や総督の権限の縮小に尽力した。 80年マッケンジーを継いで自由党の党首となるが,自由党のアメリカとの互恵政策に反対し,86年自由党とカナダ政界を去った。 92年彼はアイルランドのナショナリズムを支持してイギリス下院に選出され,93年のアイルランド自治法案作成を助けたが,カナダ政界で示した影響力はイギリスでは発揮されなかった。

ブレーク
Blake, Robert

[生]1599.9. サマセット,ブリッジウォーター
[没]1657.8.10. デボン,プリマス港沖
イギリスの海軍軍人。 1640年長期議会議員に選出され,清教徒革命勃発後は議会軍の将として西部地方を歴戦。 49年共和国政府の海軍司令官に任命され,ルーパート王子の国王軍海軍と抗戦し,スペイン沖で撃破。第1次イギリス=オランダ戦争 (1652~54) で武勲をあげ,戦傷を負って一時戦列を離れたが,54年再度司令官となり,56年対スペイン戦争が勃発すると地中海に出動,サンタクルス湾で敵艦隊を撃破したが,帰国の直前艦上で病死。

ブレーク
Bleek, Wilhelm Heinrich Immanuel

[生]1827.3.8. ベルリン
[没]1875.8.17. ケープタウン
ドイツの言語学者。バンツー語比較言語学の開拓者として知られ,「バンツー語学の父」といわれる。 1851年博士号取得。主著『アフリカ・オーストラリア・ポリネシア語学便覧』 Handbook of African,Australian and Polynesian Philology (3巻,1858~63) ,『南アフリカ諸語比較文法』A Comparative Grammar of South-African Languages (2巻,62~69) など。

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百科事典マイペディア 「ブレーク」の意味・わかりやすい解説

ブレーク

英国の詩人,画家。彫版師として生計を立てながら詩を書く。抒情詩集《無心のうた》(1789年)と《経験のうた》(1794年)によって,人間や世界における対立する2面を歌い,また散文の《天国と地獄の結婚》(1790年)では因習を攻撃しつつ,二元的世界のより高次の合一を求めた。以後《ミルトン》(1804年―1808年),《エルサレム》(1804年―1820年)など〈予言書〉と総称される諸作によって独自の神話世界を構築した。作品は銅版画に彩色する独特の画法によって,本文・さし絵とも自身で印刷した。ほかにも《ヨブ記》《神曲》のさし絵を残し,その幻想的で装飾性に富む画風はラファエル前派アール・ヌーボーに影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブレーク」の意味・わかりやすい解説

ブレーク
ぶれーく
Robert Blake
(1599―1657)

イギリスの海軍軍人。1640年長期議会の議員に選ばれ、ピューリタン革命の勃発(ぼっぱつ)とともに議会軍に投じ、イングランド西部で戦った。49年海軍に転じ、翌年ルーパート親王の国王派艦隊を地中海まで追撃、撃破した。51年国務委員。52年からのイギリス・オランダ戦争(第一次)ではイギリス艦隊を率いて、トロンプやデ・ロイテル指揮のオランダ艦隊とたびたび戦い、敗北を喫することもあったが、おおむね優勢を保った。その後は海軍行政などに携わり、56年スペインとの開戦に伴い、翌年サンタ・クルスでスペインの西インド艦隊を破ったが、帰航中に艦内で病没した。

[松村 赳]

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朝日日本歴史人物事典 「ブレーク」の解説

ブレーク

没年:1910.5.22(1910.5.22)
生年:1826.4.27
幕末に来日したアメリカ人鉱山地質学者。ニューヨーク生まれ。シェフィールド工業学校を卒業。幕府の箱館奉行がハリスに要請した結果,文久2(1862)年パンペリーと共に来日し,大島高任や武田成章らを随行して蝦夷鉱山の地質調査をした。また箱館運上所に設けられた坑師学校で,短期間ではあったが大島や武田らに鉱山技術を教えた。日本人のアメリカ留学を計画したが,幕末期の混乱のため実現しなかった。文久3年に帰国,アメリカで地質や鉱山の調査に従事した。<参考文献>倉沢剛『幕末教育史の研究』1巻

(三好信浩)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブレーク」の解説

ブレーク
Robert Blake

1599~1657

イングランドの提督。ピューリタン革命期に長期議会に選出され,議会派の海軍司令官として,王側海軍を破る。オランダ‐イギリス戦争でも活躍し,またスペイン艦隊を地中海で撃破したが,病没。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ブレーク」の解説

ブレーク Blake, William Philipps

1826-1910 アメリカの地質学者。
1826年4月27日生まれ。文久2年(1862)幕府の要請で,パンペリーとともに来日。蝦夷(えぞ)地(北海道)の地質,鉱山を調査,箱館運上所に坑師学校をひらいて鉱山学をおしえた。翌年帰国。1910年5月22日死去。84歳。ニューヨーク出身。シェフィールド工業学校卒。

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ASCII.jpデジタル用語辞典 「ブレーク」の解説

ブレーク

プログラムなどの処理を中断すること。

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世界大百科事典(旧版)内のブレークの言及

【ジャズ】より

…このなかで特に重要なのは,ブルースに使われるブルース音階(長調の3度と7度の音,すなわちミとシが半音ちかく下がる音階)とコード進行(主音→下属音→主音→属音→主音)である。またブルース・ボーカルは,ふつう各段4小節のうち残りの1小節半を〈ブレークbreak〉と呼ぶ余白として残したが,伴奏楽器はここを短いカデンツァで飾った。ブレークはのち,ジャズのソロ・インプロビゼーションへ発展する。…

【イギリス美術】より

… 〈コモン・センス〉という言葉に象徴されるイギリス人の穏健な良識感覚は,大陸における未来主義や表現主義のような前衛的・急進的な芸術運動を生むには適さなかった。その反面で,イギリスの自由主義的な精神風土は,美術にあっては,フランスやイタリアにおけるような権威主義的なアカデミズムや強固な伝統の欠如と相まって,W.ブレーク,ターナー,元来はスイス人のJ.H.フュッスリなどの破格的・独創的な芸術家を生む要因ともなった。 イギリス美術の造形的・様式的特質としては,色彩よりも線,とりわけ曲線のもつ表現的,装飾的,あるいは象徴的効果に対して敏感であることがあげられる。…

【イラストレーション】より

…活版本が誕生した15世紀から16世紀にかけて,イラストレーションは力強い発展を示したが,それにくらべると,次の17,18世紀は,やや中だるみの時期に見える。イラストレーションが再び活況を呈するのは,19世紀になってからで,その先駆となったのはW.ブレークであった。その《無垢(むく)と経験の歌》(1794)の自由な曲線は,後に世紀末のアール・ヌーボーを刺激した。…

【絵本】より


[イギリス]
 ぶっきらぼうな教科書だった板本のホーンブックhornbookが16世紀に始まり,17世紀から18世紀にわたって行商人の持ち歩く通俗本チャップブックchapbookがはびこるのであるが,イギリスでは子どもを心から愛したニューベリーJohn Newbery(1713‐67)が1744年に《小さなきれいなポケット本》を出してから,子どもの本の伝統がきずかれた。ビューイックThomas Bewick(1753‐1828)が木版で素朴な田園風景と動物とを生かし,W.ブレークがエッチングで内的な世界をひらき,ついにE.リアが石版で《ナンセンスの本》(1846)を著して,常識をこえたおかしさへ子どもを誘いこんだ。美術愛好家だったコールHenry Cole(1808‐82)が《家宝集》(1841‐47)を出して当代一流の画家に描かせたり,グリム最初の英訳(1823)に奇才G.クルックシャンクが生き生きした絵をつけたりして,やがて19世紀後半に,イギリスの本格的絵本が3人の天才挿絵画家の手で生まれる。…

【啓蒙思想】より

…一方,とくにフランスでは,無神論,唯物論といったより徹底して宗教を否定し,無用とする立場もみられる。これら啓蒙の宗教思想の,いささか性急に人間生活において宗教的なものないしは内面的精神的なものを平板化しあるいは切り捨てる側面に対しては,いちはやく啓蒙思想のただ中から,たとえばイギリスのブレーク,ドイツのハーマンら,のちのロマン主義に通じる批判が出現していることも注目されよう。
[認識論・知識論]
 人間の理性が啓示や宗教的権威から独立にもちうる力の一面を身をもって示したガリレイ,ニュートンの名に象徴される近代自然科学の成立が,理性の自律を説く啓蒙思想にとってはかり知れないうしろだてとなった。…

【幻視】より

…この伝統はやがて,ある日突然神の啓示を受けて宗教的思索活動に身を投じたベーメや天使・精霊と対話できたと伝えられるスウェーデンボリらに受け継がれた。一方,芸術家たちも創作上の霊感を得るために幻視体験や瞑想修業を重視し,W.ブレークは〈幻視とは洗い清められた感覚で自然を見ることにほかならない〉として,詩作や絵画制作そのものを幻視体験と同一視した。東洋でもイスラム教や仏教などでほぼ同様の歴史が推移した。…

【神秘主義】より

… しかし,近代から現代において最もめざましい現象は,神秘主義が芸術に及ぼした大きな影響であろう。まず,イギリスの聖霊主義運動に加わったW.ブレークは,霊視ないしは瞑想により得られた寓意図を描いてラファエル前派などの心霊的な画風に先鞭をつけた。同時にドイツ・ロマン派のO.ルンゲやC.G.カールスは大宇宙と個人との直接的交感をテーマとして壮大なビジョンを呈示した。…

【銅版画】より

…凸版は例外的で,15世紀後半に金工家が作ったクリブレ版gravure au criblé(フランス語。英語ではdotted print)と1720年代のカーコールElisha Kirkall(1692‐1750),1788‐1820年ごろのW.ブレーク,および押印風に用いられた宗教図像などに限られる。 凹版は金属板面に図を刻み,そこにインキをつめる。…

【ハエ(蠅)】より

…19世紀の詩人C.クロスの作品の中でもっとも人口に膾炙(かいしや)している《燻製ニシン》という詩の場合にも,その底ではおそらくこうした俗信とかすかにつながっているのであろう。ハエに関する文学としては中国に,宋の欧陽修の《憎蒼蠅賦》があり,イギリスのW.ブレークの《蠅》がある。ただしそれぞれの詩人のハエに対する態度は正反対で,前者がひたすらハエを憎み,かんしゃくを起こしているのに対し,後者は自分をハエにたとえ,親近感を寄せて歌っている。…

【ロマン主義】より

…この系譜の中からは,激変する社会の現実と自己の存在との乖離(かいり)を感じ,愛に満たされず何かを求め続け現実から逃避していく〈世紀病mal du siècle〉を病んだロマン派的魂の典型が浮かび上がる。 イギリスにおけるロマン主義は,1800年ころにワーズワースとコールリジを中心に提唱され,1810年から20年にかけてバイロン,シェリー,キーツ,あるいはブレークらの詩人の登場によって頂点を迎えた。個々の作家はロマン主義的な思想と主題とを豊かに展開しているとはいえ,ロマン派としての運動体を形成することはなかった。…

※「ブレーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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