伊達村(読み)だてむら

日本歴史地名大系 「伊達村」の解説

伊達村
だてむら

[現在地名]十日町市伊達

信濃川の支流入間いるま川流域の村。中心集落の伊達は右岸の平坦地にあり、善光寺道沿いに集落が並ぶ。ここから南東上流へ細尾ほそお天池あまいけ池之尻いけのしり漆島うるしじま新保しんぼ野中のなか鍬柄沢くわがらざわがあり、野中から北方六箇ろつか船坂ふなざかへ通じる道に沿って源田げんた池沢いけざわ、同じく南方へ通じる道沿いに当間あてまがある。当間は信濃川支流当間川の最上流の集落。入間川と当間川の間の狢原むじなはらには南雲なぐも(一部新宮・馬場地籍にかかる)の集落がある。天保郷帳によると、かつては伊達村・伊達新田・天池新田・池野尻いけのしり新田・漆島新田・鍬柄沢新田・池沢村・当間村・細尾村・細尾新田の一〇ヵ村であった。正応四年(一二九一)一二月二一日の関東下知状(長楽寺文書)にみえる、上野国新田につた庄の鳥山時成未亡人尼念空に譲られた地のうち「越後国波多岐庄入馬・今泉両村田畠在家」の「入馬」は、当地付近と考えられる。

伊達村
だてむら

明治三三年(一九〇〇)七月から大正一四年(一九二五)七月までの有珠うす郡の村。有珠村稀府まれつぷ村・黄金蘂おこんしべ村・長流おさる村・東紋鼈ひがしもんべつ村・西紋鼈村が合併し、一級町村伊達村として成立、旧村名を継承した六大字を編成。村名はこの地を開拓した仙台藩亘理伊達家の姓にちなむ。明治三四年有珠虻田両郡水産組合設立、村内の稀府・関内せきない・長流の分校が独立し尋常小学校となる。同三五年有珠第二小学校(アイヌ学校)開校(以上「新稿伊達町史」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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