伊達町(読み)だてまち

日本歴史地名大系 「伊達町」の解説

伊達町
だてまち

面積:九・二二平方キロ

中通り北部、伊達郡の北西部に位置。東は保原ほばら町、北は桑折こおり町、西・南は福島市。町域の大部分平地で、南東部に若干丘陵地がある。町中央を阿武隈川が北流し、南端摺上すりかみ川が東流し阿武隈川に合流する。町域西端にJR東北本線伊達駅があり、中央で南北に通る国道四号と東西に通る国道三九九号が交差するなど、交通は便利。遺跡には古代の伊達窯跡群、近世瀬戸場せとば窯跡群がある。戦国時代、阿武隈川左岸の地域は長倉ながくら郷と称された。近世には伊達郡の四ヵ村があり、天正一九年(一五九一)蒲生氏郷領、慶長三年(一五九八)上杉景勝領(米沢藩領)、寛文四年(一六六四)幕府領となる。


伊達町
だてまち

大正一四年(一九二五)八月から昭和四七年(一九七二)三月までの有珠うす郡の町。伊達村が改称して成立。大正一四年国鉄長輪おさわ(現JR室蘭本線)輪西わにし(現JR東室蘭駅)―伊達間が開通し、伊達紋別だてもんべつ駅・稀府まれつぷ駅・黄金蘂おこんしべ(現黄金駅)が開業(北海道駅名の起源)。昭和元年伊達乗合自動車会社開設、同二年伊達信用組合設立。同三年有珠郵便取扱所が開業し、同五年有珠郵便局となる。昭和五年一〇月一日の字名改称地番改正により大字を廃し、字長流おさる・字上長流など四〇字(前記二字を除く三八字は現行町名として存続)を編成した(同一二年「北海道市町村行政区画」)


伊達町
だてまち

[現在地名]西区西本にしほん町一丁目

神田かんだ町の西に延びる両側町。町名は明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図にみえる。町名の読み方は「いだて」町であったらしく、立売堀いたちぼり川も、もとは伊達堀いだてぼり川で、大坂夏の陣における伊達家の陣所であったという説に関係があるとされる(大阪市史)。「宝暦町鑑」でも「いだて」町と読んでいるが、「天保町鑑」では「だて」町と読む。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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