朝日日本歴史人物事典 「伊達綱宗」の解説
伊達綱宗
生年:寛永17(1640)
江戸前期,仙台藩第3代藩主。幼名は巳之助,陸奥守を称す。第2代藩主忠宗の6男,母は櫛笥隆致の娘貝姫。貝姫の姉は後西天皇の母(逢春門院)で,綱宗は天皇の従兄弟に当たる。万治2(1659)年に20歳で藩主となったが大酒と風流数奇の性癖が甚だしく,親類や老臣が意見を繰り返しても聞き入れなかった。伊達家一門衆の伊達宗勝と綱宗の親類大名である立花忠茂,池田光政,京極高国は伊達家の将来について話し合い,幕府老中酒井忠清に問題の解決を相談した。こうした根回しを経たのち,3年7月に伊達家の一門,重臣14名による連判状をもって綱宗の隠居と2歳になる実子亀千代(綱村)の家督相続を幕府に出願し,同8月に幕府はこれを許可している。本事件はいわゆる伊達騒動の発端をなすもので,昔から一門の伊達宗勝らによる陰謀とする説が根強いが,実際には池田光政を中心とする親類大名たちの協議に基づき,伊達家安泰の観点からとられた措置なのであった。隠居後の綱宗は品川屋敷に住み,和歌,書画,彫刻などに優れた作品を残した。墓は仙台の瑞鳳寺。<参考文献>笠谷和比古『主君「押込」の構造』
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報