伏拝村(読み)ふしおがみむら

日本歴史地名大系 「伏拝村」の解説

伏拝村
ふしおがみむら

[現在地名]福島市伏拝

黒岩くろいわ村の西に位置し、北は太平寺たいへいじ村・大蔵寺だいぞうじ村、南は田沢たざわ村・清水町しみずまち村、西は永井川ながいかわ村。村名は奥州道中の坂上の字行人ぎようにん行人前ぎようにんまえ山から(信夫山)の神を伏拝したことに由来するという。羽山の上にある拝み石とよぶ石は、かつて日本武尊が東征の折、座して信州諏訪明神を遥拝し、のち往来の旅人はこの石上に伏して御山の神を遥拝したところから、この坂を伏拝地と称したとされる(信達二郡村誌)柳田国男は、山中で樹木・岩石などのみによって信仰行為を行った場所があり、それには伏拝、また何の斎庭という地名があると述べ、塚を拝祀する風習に触れている(塚と森の話)。伏拝の地名は必ずしも信夫しのぶ山にかかわるものでなく、この地に造営された古墳に関連するものともみられる。

伏拝村
ふしおがみむら

[現在地名]本宮町伏拝

大居おおい村の西にあり、西方に位置する三越みこし村から流れる三越川が当村はぎ熊野川と合流。熊野街道中辺路が村内を通る。和泉式部熊野詣の折、当地で熊野権現を伏し拝んだという伝えが残り(紀南郷導記)、いまも中辺路の古道脇に和泉式部供養塔がある。

応永三一年(一四二四)一〇月八日付の坊地売券(米良文書)によると、伏拝にある五間四面の坊地が那智山実報じつぽう院に二五貫文で売られている。また年次不明の源七書状(松本家文書)に「ふしをかミ」とみえる。

伏拝村
ふしおがみむら

[現在地名]山添村大字伏拝

神野こうの山南麓に立地する。伏拝は神野山に対する信仰地名と伝える。応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)に「伏拝庄 五町五反四十歩」がみえる。慶長郷帳には「伏針」とあり、村高八四・三九七石。寛永郷帳には「臥拝村」と記す。慶長期(一五九六―一六一五)には幕府領(代官間宮三郎右衛門)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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