会所貿易(読み)かいしょぼうえき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「会所貿易」の意味・わかりやすい解説

会所貿易
かいしょぼうえき

江戸時代に幕府役人の統制下に置かれた会所を通じて行われた貿易制度。長崎会所は1698年(元禄11)、それまでの糸割符(いとわっぷ)会所を廃して長崎奉行(ぶぎょう)の監督下に長崎総勘定所として設置され、対中国、オランダ貿易を主とする長崎の金銀出納を管轄した。会所は、貿易総額から雑費、地下(じげ)配分金を控除した残りを運上金として幕府に上納し、生糸の独占輸入とその価格決定を行い、市政にも関与した。このため、長崎貿易はそれ以後まったく会所の支配するところとなった。1854年(嘉永7)に調印された日米和親条約は、通商行為を認めなかったが、第2条の下田、箱館(はこだて)2港におけるアメリカ船舶への薪水(しんすい)、食糧石炭など欠乏品供給の規定により、下田に欠乏会所が設置された。ここでは日本人と外国人との私的取引は禁じられ、役人がすべて取り扱い、法外な価格をつけ、関係商人から冥加(みょうが)金を取り立てた。アメリカ側は欠乏品の名目交易の拡大を図ったので、きわめて限定された規模ではあったが、事実上の貿易となった。1857年(安政4)10月に相次いで調印された日蘭(にちらん)和親条約と日露通好条約の追加条約は、貿易と代金決裁が会所を経るべきことを定めた。しかし翌年の安政(あんせい)五か国条約締結によって長崎会所および欠乏会所はともに廃止され、自由貿易原則が確立されるに至った。

藤村道生

『石井孝著『日本開国史』(1972・吉川弘文館)』

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