日本歴史地名大系 「佐和山城跡」の解説
佐和山城跡
さわやまじようあと
佐和山(二三二・九メートル)に築かれた中世の城。北麓に
天文七年三月二七日の六角定頼感状(古証文)に、同氏の臣二階堂小四郎が佐和山麓で坂田武士若宮弥左衛門を討取ったとあり、五月二三日には定頼に通じていたもと京極家の重臣多賀貞隆が当城を落して百々三河守を城代にしている(「蜷川親俊日記」など)。同一〇年京極高広と同家の執権浅井亮政・久政父子が対立した際、浅井氏に肩入れした六角定頼は進藤貞治を当城に遣わし、坂田・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報