佐土原城跡(読み)さどわらじようあと

日本歴史地名大系 「佐土原城跡」の解説

佐土原城跡
さどわらじようあと

[現在地名]佐土原町上田島

旧佐土原城下の南南西にあった中世から近世の城。県指定史跡。築城の時期は不明だが、「日向地誌」は鎌倉時代に伊東祐時(工藤祐経の子)の子息祐明が田島たじまに下向した頃の創始かとしている。江戸時代は鹿児島藩の支藩佐土原藩の藩庁で、佐土原島津家の居城である。

〔中世の城主伊東氏〕

佐土原城は伊東氏の根幹の城で、室町期に伊東祐尭が佐土原氏・三宅氏・富岡氏・平田氏などを滅ぼし、伊東氏の居城としたと伝える(「島津家久譜」旧記雑録)。事実、祐尭は文安六年(一四四九)以降に佐土原で犬追物の興行を行い、祐尭から家督を継承した祐国は文明一二年(一四八〇)に佐土原を知行し、同一六年の祐国による飫肥おび遠征の軍勢のなかで佐土原が都於郡とのこおり(現西都市)に次ぐ位置を占めていた。天文年間(一五三二―五五)初頭の伊東氏の家督継承をめぐる争いのなかで長倉能登守に擁立された伊東祐吉は、天文四年一月六日財部たからべ(現高鍋町)・佐土原に入城している。祐吉が翌五年六月八日に宮崎城で早世すると、兄の祐清(義祐)が家督を継承して七月一〇日佐土原に入城し、八月晦日から九月八日まで国中泰平の祈祷を行ったという(以上「日向記」)

天文一三年一月一一日に佐土原で伊東氏家臣による番弓が興行され、翌一四年一月一一日にも同様の番弓が興行されている。この間、伊東義祐は佐土原にあったようだが、同二三年一月一八日に佐土原から都於郡に移っている。しかし永禄四年(一五六一)の飫肥合戦当時、義祐は佐土原は那賀なか郷のうちに属するとし、自らを「那賀在此入道」と飫肥遠征に同行した落合右衛門尉に書かせる一方、のちに代替りによって都於郡に移ったとしているが、同一一年当時も佐土原に居住していた。そして佐土原城は義祐の隠居所となり、のち佐土原摂津守が預かり、その子義益が都於郡城に居城する形態をとっていた(以上「日向記」)。以上の経緯は、天文年間頃の伊東氏が佐土原を拠点に河南かわみなみ河北かわきたから三俣みまた高城たかじよう(現高城町)山之口やまのくち(現山之口町)梶山かじやま勝岡かつおか(現三股町)野々美谷ののみたに(現都城市)を支配していたといわれることから(年未詳「北郷家家譜」北郷文書)、実態を反映しているとみられる。元亀三年(一五七二)五月四日の伊東氏が島津氏に壊滅的打撃を受けた木崎原合戦では、都於郡・佐土原の若き衆はほとんどが戦死したと伝えられ(日向記)、伊東方の犠牲者を記した同日の木崎原合戦頸注文写(真幸院記)に佐土原衆出家の壱岐珠台、佐土原衆の福永四郎兵衛・同清右衛門・同因幡、佐沢津助八郎、弓削伴七郎の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「佐土原城跡」の解説

さどわらじょうあと【佐土原城跡】


宮崎県宮崎市上田島にある城跡。周囲を弁天山などの山に囲まれ、北に一ツ瀬川が流れる位置にあり、南北2つの山塊の南に延びる主尾根筋に曲輪(くるわ)が並ぶ。北に本丸、その南に南の城と称される曲輪、さらに南に松尾丸を配し、北にある弁天山には時を知らせる太鼓が置かれていたという。それぞれの曲輪は堀と土塁で区画されており、山城の東麓には居館が造営されていた。本丸の発掘調査では、14世紀の陶磁器や金箔鯱瓦(しゃちがわら)を含む瓦、四方の石垣の基礎が残る天守台跡が確認され、居館跡では底幅15mの堀跡、礎石や掘立式の建物跡、井戸跡、門跡などが見つかった。会所跡と目される地域では、14~19世紀の陶磁器と多数の建物跡が検出された。14世紀の半ばころ、現在の場所から海よりの所に伊東氏一族の田島氏が築城し、1427年(応永34)に本家筋の伊東氏が田島氏を滅ぼして入城、その後、城は現在の場所に移された。伊東義祐が城主であった1536年(天文5)には城を整備し、伊東48城と呼ばれる多くの城の中心的存在として機能することになる。しかし、伊東氏は1572年(元亀3)の戦いで島津軍に敗れ、日向(ひゅうが)は島津氏が支配するところとなり、1579年(天正7)に島津家久が城に入った。関ヶ原の戦いの後、島津以久(もちひさ)が佐土原を与えられ、以後、明治時代になるまで島津氏の居城となった。1625年(寛永2)には山上の建物を破壊し、麓に移した館は鶴松(かくしょう)城と呼ばれ、現在はその御殿が復元されて鶴松館(佐土原歴史資料館)になっている。この地を支配した伊東氏から島津氏にいたる450年余の間、佐土原城は地域の政治・経済・文化の中心として機能したことから、2004年(平成16)に国の史跡に指定された。JR日豊本線佐土原駅から宮崎交通バス「佐土原小前」下車、徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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