佐野町
さのまち
近世における天明町・小屋町の総称。古代・中世には佐野庄に属し、近世初期に天明村を分村して小屋村を開いたという(地誌取調)。「太平記」巻三〇(薩
山合戦事)に「天命宿」の名がみえ、中世より町場としての性格を有していたと考えられる。慶長七年(一六〇二)徳川家康より春日岡への移城を命じられた佐野信吉は、同年築城を開始し、同一二年未完成ながら入城している。佐野城下の建設は城の南方の街道を中心に町並を形成し、天明町内の金屋町へ鋳物師を集住させ、城下の佐野川左岸に寺をまとめて出城的要素をもたせた。しかし同一九年の信吉改易によって城は廃城となり、城下町として存続したのはわずかな期間である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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