~則ち佩刀を引いて自ら
(さ)き、其の五
皆出づ。~則天(武后)聞き、~
人をして五
を却(かへ)し
(い)れ、桑の白皮を以て之れを
合し、
を傅(つ)けしむ。經宿にして、乃ち
(よみがへ)る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…秦の簡公6年(前409)に〈吏をして初めて剣を帯びしむ〉とあるように,官吏の身分象徴として佩剣の風がやがて広まり,前漢には〈皇帝より百官に至るまで,剣を佩びざるなし〉といわれた。しかし武器としての鉄刀が銅剣や鉄剣にとってかわるにともなって,佩剣も佩刀へと変化をみせる。後漢王朝はその儀礼制度のなかに百官の身分等級を示す佩刀の規則をことこまかに規定したが,南北朝から隋・唐においても,その傾向は変わることなく官品の差を表徴する機能をもった。…
※「佩刀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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