精選版 日本国語大辞典 「倉富勇三郎」の意味・読み・例文・類語 くらとみ‐ゆうざぶろう【倉富勇三郎】 政治家。法博。男爵。筑後(福岡県)出身。司法省法学校卒。法制局長官、貴族院議員、枢密顧問官、枢密院議長などを歴任。嘉永六~昭和二三年(一八五三‐一九四八) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「倉富勇三郎」の解説 倉富 勇三郎クラトミ ユウザブロウ 肩書貴院議員(勅選),枢密院議長 別名号=城山 生年月日嘉永6年7月16日(1853年) 出身地福岡県 学歴司法省法律学校〔明治12年〕卒 学位法学博士〔明治41年〕 経歴判事試験に合格、司法省に入り、民刑部長、同参与官、大審院検事、大阪控訴院検事長、東京控訴院検事長、韓国法務部次官、同統監府参与官、同司法庁長官、朝鮮総督府司法部長官を歴任。大正2年第1次山本権兵衛内閣の法制局長官となり、3年勅選貴院議員、9年枢密院顧問官で帝室会計審査局長を兼任、14年枢密院副議長、15年同議長となった。同年男爵。その後議定官、王公族審議会総裁となり、昭和9年退官、前官礼遇を受け、郷里福岡に引退。書をよくした。 没年月日昭和23年1月26日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「倉富勇三郎」の解説 倉富 勇三郎クラトミ ユウザブロウ 明治〜昭和期の司法官,政治家 貴院議員(勅選);枢密院議長。 生年嘉永6年7月16日(1853年) 没年昭和23(1948)年1月26日 出身地福岡県 別名号=城山 学歴〔年〕司法省法律学校〔明治12年〕卒 学位〔年〕法学博士〔明治41年〕 経歴判事試験に合格、司法省に入り、民刑部長、同参与官、大審院検事、大阪控訴院検事長、東京控訴院検事長、韓国法務部次官、同統監府参与官、同司法庁長官、朝鮮総督府司法部長官を歴任。大正2年第1次山本権兵衛内閣の法制局長官となり、3年勅選貴院議員、9年枢密院顧問官で帝室会計審査局長を兼任、14年枢密院副議長、15年同議長となった。同年男爵。その後議定官、王公族審議会総裁となり、昭和9年退官、前官礼遇を受け、郷里福岡に引退。書をよくした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「倉富勇三郎」の解説 倉富勇三郎 くらとみ-ゆうざぶろう 1853-1948 明治-昭和時代前期の官僚。嘉永(かえい)6年7月16日生まれ。倉富篤堂の子。司法省の民刑局長,東京控訴院検事長などをへて,明治43年朝鮮総督府司法部長官となる。大正2年第1次山本内閣の法制局長官。3年貴族院議員,15年枢密院議長。昭和23年1月26日死去。96歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身。司法省法学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「倉富勇三郎」の解説 倉富 勇三郎 (くらとみ ゆうざぶろう) 生年月日:1853年7月16日明治時代-昭和時代の官僚;政治家。貴族院議員1948年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by