日本大百科全書(ニッポニカ) 「倉渕」の意味・わかりやすい解説
倉渕
くらぶち
群馬県中西部、群馬郡にあった旧村名(倉渕村(むら))。現在は高崎市(たかさきし)の北西部を占める地域。1955年(昭和30)倉田村と烏淵(からすぶち)村が合併して倉淵村となり、1996年(平成8)表記を変更し、倉渕村となった。2006年(平成18)高崎市に編入。旧倉渕村は烏川の最上流地域を占める山村で、旧村域の大部分は山林。JR上越新幹線・高崎線高崎駅から国道406号を経由してバスが通じ、中心集落は旧中山道(なかせんどう)脇往還(わきおうかん)の三ノ倉。ミョウガは県下第一の特産地で、シイタケ、ナメコの栽培も盛ん。幕末の勘定奉行(ぶぎょう)であった小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)の墓や遺品館が権田(ごんだ)の東善寺(とうぜんじ)にある。
[村木定雄]
『『倉淵村誌』(1975・倉淵村)』