《後漢書》にみえる光武帝が建武中元2年(57),倭奴国王に贈ったとされる金印。1784年(天明4)2月23日,博多湾志賀島で百姓甚兵衛が水田の溝を修理していたところ,二人持ちの大石が現れ,これを掘り起こすと金印が出てきたと伝えられる。当時福岡藩の藩校甘棠(かんとう)館の祭酒(校長)であった亀井南冥はこれを鑑定し,実物であることを主張,《金印弁》を著している。その後,金印は黒田家所蔵となったが,1978年福岡市に寄贈された。
印は鋳造で,鈕(ちゆう)は蛇がとぐろを巻いたところを写した,いわゆる〈蛇鈕〉である。蛇身は刻線で彫り,頭をうしろに曲げ,尾は巻いて右側方に垂れる。頭部に二つの目を刻み,身体全体に魚子(ななこ)状に鱗(うろこ)を刻む。総高は2.236cm,印台の高さは平均0.887cm,印面はほぼ正方形で,四辺の平均は後漢尺の1寸にあたる2.347cm,重さは108.729gである。印面には漢隷で〈漢/委奴/国王〉の3行5文字が両面よりやげん彫に彫られ,文字の先端はきわめて鋭利で力強い。
類似の例で注意されるのは,雲南省石寨山古墓で出土した〈滇(てん)王之印〉である。辺長2.4cmの金印で,蛇鈕をもつ。《史記》の〈西南夷伝〉にある元封2年(前109)武帝が滇国王に与えたものと考えられる。漢代では,北方異民族には駝鈕,南方異民族には蛇鈕の印を与えるのが通例であった。
→印章
執筆者:岡崎 敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 古来その地理的位置から中国大陸や朝鮮半島に対する門戸として重要な役割を果たした。57年には福岡市付近に所在した奴国が後漢に朝貢して印綬を与えられたが,この印は1784年(天明4)志賀島で発見された金印(倭奴国王印)とされる。3世紀には邪馬台国女王卑弥呼に任命された一大率(いちだいそつ)が伊都国(糸島郡)に駐在し,諸国の検察や帯方郡使の応接などに当たったとされる。…
※「倭奴国王印」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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