江戸時代に支配者や富裕な人々が自ら庭に窯(かま)を築いて製陶を行ったが、その窯を庭焼と称し、敬って世上御庭焼とよばれていた。桃山時代には、中世までとは打って変わって国産の陶磁器が高い美術的評価を受けることになり、高級な飲食器としての認知がなされた。この動きに乗じて文化人たちは自ら製陶を行うようになった。御庭焼は大きく二つに大別される。一つは自ら作陶を行う趣味の窯、いま一つは調度を調えるため、職人の生産組織をもった窯である。御庭焼の早い例として、桃山前期の天正(てんしょう)年間後半に豊臣(とよとみ)秀吉が京都聚楽第(じゅらくだい)に設けた聚楽焼があげられ、その後、江戸時代にはあらゆる階層に波及し、幕末に至って絶頂を迎えることとなった。
[矢部良明]
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…当時流行の中華趣味に走らず,純日本風な作風を求めて一家をなした。またその作風は各地の御庭焼や御用窯(藩窯)に影響を与え,自身でも近江石山寺御庭焼,西本願寺の露山焼,和泉願泉寺御庭焼,嵯峨角倉家の一方堂焼,讃岐松平家の讃(さん)窯,紀州偕楽園御庭焼にも参画している。晩年の42年(天保13)には桃山窯を興し,温和な作風,琳派風な意匠によって広く万人に好まれた。…
…内容は多岐にわたり,鍋島藩窯(鍋島焼)をのぞいて,厳密に定義できないのが実状である。広義には,陶工・窯業を保護育成し,藩が援助したもの,藩主の什器などを焼かせた御用窯,藩の什器や贈答用品を専門に焼かせ,一般市場への出荷を禁じた御留焼(おとめやき),城内や江戸邸内に窯を築かせ,藩主みずからも手捏ね(てづくね)で茶器など焼いた御庭焼なども含めていう。 室町時代末期から茶道が隆盛を迎え,安土桃山時代には古田織部のように茶陶を指導する大名が現れたり,戦功の行賞に名品茶器をもってあてることなどが行われた。…
※「御庭焼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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