元浜町(読み)もとはまちよう

日本歴史地名大系 「元浜町」の解説

元浜町
もとはまちよう

[現在地名]中央区日本橋富沢町にほんばしとみざわちよう日本橋大伝馬町にほんばしおおでんまちよう

新大坂しんおおさか町の東、北は通油とおりあぶら町、東は浜町はまちよう堀の河岸、南は富沢町に接する堀留ほりどめ通の東西に続く両側町。浜町堀の河岸は西緑にしみどり河岸で、汐見しおみ橋と千鳥ちどり橋が対岸たちばな町一丁目に架かっている。徳川氏関東入国当時は江戸内海の入江に沿った未開地であったが、後に開発して市店が設けられ浜町と名付けられた(新撰東京名所図会)。元禄四年(一六九一)浜町堀が開削されるに及び、同地の町屋は代地の霊巌れいがん島に移ったが、旧町の一部が残って元浜町となったという(東京府志料)

元浜町
もとはまちよう

[現在地名]中区元浜町一―四丁目

海岸通かいがんどおり北仲通きたなかどおりの間の町。安政六年(一八五九)横浜開港に際して設置された日本人町の一つ。道幅は三間、二丁目から五丁目まであった(「横浜町割図」保土ヶ谷宿本陣記録文書)。初めは北側は海に面し、海辺通かいへんどおりと称し、海岸通と俗称された。二丁目の北端ほん町一丁目の角には神奈川湊(現神奈川区)廻船する渡船場があり、番所があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報